かあさんは雨女

語学と育児、その他いろいろ。

新しい「えいごであそぼ」が、ぜんぜん英語で遊んでいない件について。

こんにちは。

出かける前に大急ぎで適当にひっかけて着た服が偶然娘の服と同じ色で、行きつけのお店のおねえさんに

「あっ、お揃いでリンクコーデですね〜」とか言われると妙に恥ずかしいですよね。

マミです。

 

今日は娘と一緒にヨーグルトを食べていて、私のにはハチミツを入れるのが好きなんですが、

冬の名残の寒さでハチミツが半分固まっていて、ボトルから絞りだすと「ぶぼふ」といいながら

少しずつ出てくる音が娘のツボにはまったようで、いちいち「うへへ」とウケてくれるので

「ぶぼふ」「うへへ」「ぼふぼふ」「うへへへ」と調子に乗ってエンドレスにやっていたら

ハチミツヨーグルトなのかヨーグルトハチミツなのかわからないくらい過剰に甘いおやつが

出来上がりました。

おいしかったです。

春ですね。

(ちなみに乳児にはハチミツあげられないので、娘のにはリンゴとバナナを入れましたよ)

 

ちょっと愚痴ります。

自他ともに認めるEテレウォッチャーの私、娘とともに毎日「えいごであそぼ」と「にほんごであそぼ」を

楽しみに観ておるのですが、春の番組改編で「えいご」の方がちょっと、ひどいことになっておりまして。

以前はほとんどオールイングリッシュの構成で、エリックさんとキコさんというネイティヴコンビが

歌や踊り、寸劇、読み聞かせなどを中心に自然な英語のやりとりを楽しく繰り広げる内容だったのですが、

この4月からコンセプトがガラリと変わり、発音を日本語でひたすら説明する番組になってしまいました。

なんだか、毎日「Fの音を練習する日」「Sの音を練習する日」みたいに決められていて、

「F、F、F、FISH!!」「S、S、S、SNAKE!!」と同じ単語をひたすら練習しています。

「す、す、す、すねーく?」「ちがうよ、S、S、S、SNAKEだよ」と日本語交じりで悪戦苦闘する人達。

うーん、これはこれで需要があるのかもしれないけど…。

 

なんか…。

 

楽しくない…。

 

どうやら「対象年齢が上がった」「小学校から英語が必修化されるのを意識した」ということらしいのですが、

まだことばの分からない、あるいは理屈でものを覚える発達段階以前の子どもには全く楽しめない

番組になってしまった感が否めません。それこそ昔の英語の授業みたいな内容です。

「正しく発音できるかどうかを確認する装置」みたいのが毎回でてきて、自分でも作れたりするのですが、

(強く息を吹きかけて「SNAKE」と言えたらコロコロ転がるヘビの装置とか)

その工作も全部日本語を使ってやってるので、ぜんぜん英語で遊んでいません。

挙げ句、唯一でてくる歌「HELLO WORLD」も、歌詞が半分以上日本語です。

 

これで、どうやって英語を身に着けろというのだ…。

 

「正しい発音」は身につくかもしれないけれど、発音を理屈で覚えるのはむしろ大人がするべきことで、

耳も頭も柔軟な子どもたちは、ただ音を聴くだけでまねできたりすると思うんだけどなあ。

「正しい発音」より、使える単語やフレーズをたくさんインプットして表現力を身につけたほうが

将来、英語を使いこなせるようになるんじゃないかなあ。

と、これは、自分自身の経験を振り返っても感じるわけなのです。

 

私は学生の頃、オーストラリアに短期留学していたことがあるのですが、話すのに慣れないうちは

自分の発音や文法の正しさが気になって、モゴモゴと口ごもっていたものです。

そんな私を尻目に、発音も文法もメチャクチャながら、知っている単語を組み合わせて

どんどんしゃべる、ブラジル人のクラスメイト。

でも何を言っているかわかります。ネイティヴの先生にも通じています。

そりゃそうだ、情報量が多いんだもの。

この経験から、語学学習はとにかく「使えるフレーズのインプット」と「それを必要に応じて

引き出せる応用力」が大切なのだなあ、と痛感しました。

正しい発音なんか二の次です。通じなかったら別の言葉で言い換えればいいんだから。

 

それに、今の国際化社会、英語話者の大半はノンネイティヴです。

今ちょっと調べてみたところ、世界に英語話者は20億人いるそうなのですが、

そのなかでいわゆる「ネイティヴスピーカー」、英語を母語とする人はたった3億人だそうです。

他に、インドやシンガポールなど「公用語」として英語を使う国の人が10億人、

そして私たち日本人のように「外国語」として英語を学ぶ人が7億人。

(ベネッセ教育総合研究所サイトより。

http://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_05/fea_honna_01.html

この、母語話者以外の17億人の人達が、果たしてみんな「きれいな発音」で英語を駆使しているでしょうか?

私にはそうは思えません。それでも、きちんと英語を使いこなしている人はたくさんいます。

もちろんきれいな発音で話せるに越したことはないですが、発音より大切なものがたくさんあるはずなんです。

 

なのに、この発音偏重の番組改編は…。

うーん、時代に逆行しているとしか思えません。

 

(あと、イギリス英語とアメリカ英語でも発音が大きく違いますが、

えいごであそぼ」で使っているのはコテコテのアメリカ英語ですね。)

 

私は先ほど書いた留学先での経験談から、自分が語学を学ぶときも必ず「使える単語やフレーズを

大量に、そして繰り返し、身体が覚えるまでインプットする」ことを重視しています。

(私の英語学習法に関しては、長くなるのでまた改めてじっくりと書きたいと思います)

この方法でTOEICでも英検でも劇的に成果が上がりましたし、ネイティヴの方との会話にも困らないくらいに

英語力がついたので、きっと間違ってはいなかったのだろうと思います。

 

子育てを始めるときも、なるべくたくさん英語の音に触れられる環境に娘を置いてあげたいな、

と考えてきました。 

母語教育も大事なので、親が話しかける言語は必ず日本語。これ大切です。

昔、大学の言語学講義で聞いた話ですが、英語教育に力を入れすぎるあまり、両親ともに英語で

語りかけばかりしていたら、母語がわからなくなっちゃった例があるそうです。(かわいそう…)

 

となると、頼るべきはメディアの力。

以前の「えいごであそぼ」なら、英語の音を無理なく楽しく娘に聴かせてあげられる!

それも毎日10分ずつ、という時間もちょうどいい、と私も楽しみながら観ていただけに、

この番組改編は、私にとっては誠に残念なものだったのでありました。

娘はまだ「好き」「嫌い」もはっきり表出できる月齢ではないですが、新しい「えいごであそぼ」は

あまり集中して観ていないようです。

(一緒に観ている私が楽しくなさそうにしていることも、大いに関係あるかもしれませんが…。)

twitterをはじめSNSでも、おおむね不評な様子…。

「子どもがすごい食いついてる!」という意見もちらほらありますが、その多くが

「出演者が厚切りジェイソンだから」

であるらしく、なんだかガックリです。

出演者のネームバリューに頼ってどうするよ…。

話題の厚切りジェイソン氏は子役さんたちと一緒に「以〜上っ!」とかやってるし…。

あと、ナレーションでチャド・マレーンさんも出演していますが、こちらも日本語ばかりしゃべっています。

 

頼むから、英語をしゃべってくれーっ!!

 

と、愚痴っぽいことばかり書いてしまいました。

できれば、これから改善していってほしいな、との願いをこめて。

 

繰り返しますが、発音重視が悪いと言っているわけじゃないんですよ。

発音重視の番組は大人向け、指導者向けに作ってもらって結構ですが、子ども向けには

もっと英語漬けの番組を作ってほしい、という主張なのです。

 

娘の英語インプットに関しては、しかたないので、英語音声もあるアニメ番組を録画して

ちょっとずつ一緒に観ています。

ここでもEテレ頼りですが、週末に放映されている「おさるのジョージ」「ミッフィー

きかんしゃトーマス」あたりをローテーションで流していこうかと考えています。

あとは、私も小さい頃から親しんだディズニー映画のDVDを、少しずつ買いそろえていこう。

(実家にあるのはVHSなので…)

私の勉強にもなるし。

 

というわけで、これからも英語学習、親子ともに楽しんでいきますよー。

では、また。

読書記録 — 中山七里「切り裂きジャックの告白」

こんにちは。お久しぶりです。

娘は8ヵ月になりました。

先日は「離乳食で下痢して大変…」てなことを書きましたが、すっかりお腹の調子も戻り、

二回食で順調に進んでおります。わりと好き嫌いなく、よく食べてくれるので助かっています。

もりもり食べて、元気に動くおタマちゃん。

最近は、ずりばいも少しするようになり、離れたところにあるおもちゃを「う〜ん」と言いながら

ズリズリ頑張って取りに行く様子がおかしいやら、かわいいやら。

もともと独り遊びが好きな彼女ですが、行動範囲も広がって、ほっといたらいつまでも

コロコロ転がりながらおもちゃで静かに遊んでいるので、私はのほほんと過ごしております。

ま、気づいたら壁にぶつかったり、カーテンに巻き付いたりしてるので、

あんまり目を離すわけにもいかないんですけどね。(笑)

 

さて、表題のことについて。

久々にミステリなど読みましたので。

 

※さすがにミステリはネタバレするわけにはいかないので、話の核心に触れるようなことは一切書いていない…つもりです。

 これから読まれるご予定の方も、ご安心のうえ先にお進みください。

 

中山七里氏といえば「このミステリーがすごい!大賞」を受賞した「さよならドビュッシー」、

そして続編「おやすみラフマニノフ」が有名でしょうか。

どちらもクラシック音楽業界を舞台としたミステリです。

国語教師の職権を濫用して、勤務先の図書室から持ち出して読んだ記憶があります。

(いや、何も違法じゃないので堂々と借りて読めばいいんですけどね…)

ミステリとしてもたいへん読み応えがあったのですが、それだけではなく、クラシック業界の

裏事情や楽器の演奏法などがとても詳しく描写されていて、たいへん興味深かったです。

素人とはいえ、幼稚園から高校までバイオリンを習っていた私でも「へ〜」と感心しながら

読めるほどの情報量。音大生の日常生活に関する描写もリアルです。

中山氏はてっきり音楽業界に関わりのある方なのかと思いきや、調べてみると

「本人は音楽に関しては素人」とのこと。

うーん、どれほどの取材力なんだ…。

音楽ミステリ以外の作品も読んでみたい。

 

てなわけで、また違った作風の「切り裂きジャック」を手に取ってみたわけです。

(まいど前置きが長いですね。)

 

こちらのテーマは「臓器移植」。主人公は刑事・犬養隼人。

ばりばりの社会派ミステリですね。色んなテーマで書ける人なのだなあ…。

さきほど「取材力」と書きましたが、こちらも情報量がすごかったです。

医療業界が抱える問題、特に臓器移植というセンシティブな題材について、

おそらく丁寧な取材と深い考察をもって書いたのであろう、と思わせる内容でした。

猟奇殺人の裏に潜む社会問題、医療関係者の思惑、病気と闘う人々の姿…。

特に臓器移植の是非について、推進派と反対派が討論をする場面。

医療倫理の話から、哲学的、宗教的な議論にまで発展していって、本当に一人の人間が書いたのか?

と思わせるような分厚い内容でした。

 

…と、こういった内容なら、他にも多くの作家が取材と創作を試みているところなのでしょうが、

中山作品の魅力は、それに加えて「読みやすさ」があることだと、私は思っています。

テーマは重くて堅いのですが、登場人物が妙に魅力的でフットワークが軽く、

なんだかサクサク読めてしまう。

あと、ラストにびっくりするような仕掛けが用意されていることも多いです。

(ネタバレになっちゃうので、どの作品が…とは言いませんが)

 

私は国語教師のくせに読むのが遅く、漢字ばっかりの堅い文章を見るとヤんなっちゃう性質でして、

「読みやすい本しか読みたくない」というスタンスで読書生活を送っております。

(そんな奴が国語を教えてていいのか…? いいんです、読書は勉強ではないのですから。)

そんな私のような人間にも飽きずに楽しめる、中山ミステリ。

調べてみると、非常に多作の作家さんのようなので、色々な作品を長く楽しめそうですね。

また何か読んだらご報告いたします。

 

では、夜も更けてまいりましたので、今日はこのへんで。

おやすみなさい。

道徳の授業って、なんだ。

こんにちは。暖かくなってきましたね。

私は花粉症にやられております…。

元はそんなにひどくなかったのに、産後体質が変わって悪化してしまいました(泣)。

点鼻薬と目薬が欠かせません。

 

とはいえ、暖かくなるのは嬉しいものですね。

今日もお散歩日和、春の陽気の中を娘とぶらぶら散歩しました。

関西出身なので、4月に入ったらすぐお花見!といきたい気分ですが、

現在私が住んでいる北陸では、桜はもう少し先みたいです…。

先日は満開の梅の花を鑑賞してきました。桃、桜と、じっくり楽しみたいものです。

 

さて、色々と書きたいことがあるものの、なかなかじっくりと時間がとれず…。

ゆるりとした更新頻度ですが、お付き合いいただけると幸いです。

 

今日は、かねてから気になっていた話題がトップニュース入りしていましたので、

思うところを書いてみようと思います。

<道徳教科書検定>「パン屋」怒り収まらず (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

教科化に伴い、道徳の教科書が初めて検定にかけられました。

その検定を通して、「国や郷土を愛する態度」を養うため、読み物教材に登場する「パン屋」が

「和菓子屋」に変えられた、というニュース。

 

現役の公立学校教員としては、何というか、ぶったまげましたね。

物語にパン屋が登場するくらいでケチをつけているのもワケわかめですが、

それを「和菓子屋」に変えただけで、検定通っちゃうのかよ! …と。

いったい文部科学省は、日本文化を何だと思っているんだー。

「国や郷土を愛する態度」を育てたかったら、ちゃんと独立した項目に伝統芸能

工芸品を登場させて、それに関わるプロの職人さんなんかをきちんと主役にして、

じっくり子ども達に味わってもらえるようにしないと。

 

で、この「にちようびのさんぽみち」という読み物、どんなものか調べてみました。

さすがに本文そのものを読むことはできませんでしたが、学習指導案ならすぐにヒットしましたよ。

ググればすぐ出てきますが、いちおうリンクを貼っておきますね。

https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/detail/80086/

(※学習指導案というのは、これから行われる授業のあらましをざっと説明したもの、

 いわば授業の設計図です。学習目標や展開のしかたなどが書かれています。

 本来は教員が作成するものですが、上記リンクは教科書会社が「指導案例」として

 提案しているもののようです。これを授業で丸々使うこともできますね。)

 

この指導案の「主題設定の理由」には、こんな記述があります。

「家庭や学校をとりまく郷土の自然、住む人々に目を向け、人々との触れ合いを深めることで、

 郷土に親しみをもって生活しようとする気持ちを育てたい。」

どうやら、自分の住む街を歩き、そこに住む人達と交流する「けんた君」のお話から、

「自分の住む街の好きなところ」について話し合う…という授業が想定されているようです。

 

うーん、いいですね。郷土愛。住む街の魅力。地域の人たちとの交流。

うん。

和菓子屋さん関係ないよね?

 

なんでパン屋さんじゃダメなんだろう。

「自分の住む街」に感じる魅力を語るのに、パン屋さんが邪魔で、

和菓子屋さんにしないといけないと思う根拠は何なんだろう。

 

この論理でいくと、けんた君の家の近所に外国の方が住んでいてもマズいわけですよね。

国に対する郷土愛を育てるためには、日本のものしか許されないわけだから。

お隣に住んでいる英国紳士に紅茶とスコーンをごちそうになって、どんなに心温まる交流をしたとしても、

日本男児に緑茶とどら焼きをもらった描写に差し替えないといけない、わけだ。

 

うーん、これは、思っていたよりも根深い問題かもしれないぞ。

 

日本に住んでいると、近くに住んでいるのは日本人ばかりだと思ってしまいがちですが、

外国人労働者がたくさん移住してきている地域も少なくありません。

で、その外国人の子どもの中には、公立学校に通う子も当然いるわけです。

そういう子たちと道徳の授業をするとき、「自分の住む街を愛する」という主題ならまだわかりますが、

なぜそこで、外国から来たものを排斥して、日本固有のものだけを登場させる必要性があるのだろうか。

(そもそも「和菓子」が本当に日本固有の文化なのか…?という点についても怪しいですが、

 長くなるのでこちらの考察は割愛します)

 

郷土愛って、そういうことじゃないだろう。

そんな教材でもって「国や郷土を愛せ」と言われたって、それはもはや教育とは呼べないだろう。

 

そもそも、子ども達がいま住んでいる場所が必ずしも「郷土」で、「愛する」べきものだなんて、

大人が教え込んでいいものなのだろうか。

子どもは住む場所を選べません。自分の街を好きになれない子だっているかもしれません。

(まあそんなことを言ったらキリがないようにも思いますが…。)

 

こういう「〜を愛する心を育てる」という主題、どうにも好きになれないのです。

だって、愛するかどうかは個人の自由でしょ。

「〜が素晴らしいと思った」という体験記を読んで、本当だ素晴らしいなあ、と思うのも、

いや、私にはその素晴らしさがわからない、と反発するのも自由なのです。

大人にできるのは、価値観を提示することだけなのですから。

 

世間一般では、どうやら「道徳」とは「正しい価値観を教え込む」ものだと思われているようなのですが、

「道徳」の本来あるべき姿は、そうではないと私は思っています。

教師は読み物や体験談を通じて「こんな考え方があるよ、どう?」と提示し、

「うーん…確かに」「でも、こういうふうにも考えられるよ」と、様々な意見を子ども達に発言してもらう。

自分の持っていた価値観が揺れる子、揺るぎない信念を新たにする子、色々な子がいますが、

どの生徒もその1時間の間に、よ〜く考えて自分の意見をまとめ、他の子の意見を聴く。

そういう時間が大切なのです。

 

ただ、そういう話し合いの深まる授業をコーディネイトするのは、たいへん難しいことなのです。

だから多くの先生は「いじめはやめましょう」とか、「人のためになることをしましょう」とか、

安易で、わかりやすい結論を押し付ける方向にいってしまう。そのほうが楽ですもんね。

 

でも、そうじゃないんですよ。

 

「いじめ」に関していえば、「なぜいじめはいけないのか」を子どもたちに議論させるべきなのです。

で、その中で「ムカつく奴はいじめたっていいじゃん!」という意見が出てくるとすれば、

教師がそれを言った生徒を叱りつけるのではなく、「今こんな意見が出たけど、どう?」と問いかけ、

「私はそう思わない」という意見が他の生徒から、自然と出てくるのが理想なのです。

 

多分、世の中の大人たちの多くは「道徳の授業」に対して、あまりいいイメージを持っていません。

それは、昔から道徳の授業が軽視されてきたからです。

道徳=「きれいごとを押しつけられる時間」と考えている人が多いからです。

繰り返しますが、子どもたちの価値観に問いかけ、話し合いを促す授業をつくるのは、

たいへん難しいです。準備にも時間がかかります。

だから、「価値観を教え込む」形にしてしまっている教師がたくさんいるのです。

「こう考えなさい。こう行動しなさい」と教えて、それでおしまい。楽ちんですね。

ひどい人になると、「道徳めんどくせえなぁ。次の道徳の時間、ゲームでもさせとくか」

というふうになってしまうことも、よくあります。

(皆さんの中にも、「道徳」のはずなのに違うことをしていた時間…という記憶、

 ありませんか?)

 

道徳の時間とは、子どもたちが価値観を形成するための、大切な時間です。

教師と生徒、勉強ができる子とできない子、いい子と悪い子、というくくりなど関係なく、

みんなが平等にそれぞれの考え方を共有し、深め合うことができる貴重な時間なのです。

 

だから、私は道徳の教科化には大賛成です。

「道徳の授業で成績をつけるなんて」という意見もありますが、

道徳の評価は、数字や点数でつけるのではありません。

まだ実施されていないので、具体的にどんなものになるかはわかりませんが、

恐らく、「どれだけ積極的に授業に参加して、考えを深めることができたか」という基準で、

生徒一人ひとりに対しての評価が実施されると思います。

他の授業と同じです。参加しないで寝てる子は評価が下がるし、一生懸命考えた子はきちんと評価される。

そういうものになる…、なればいいな、と思っています。

道徳を「教える」=「サボる」教師が、少しでも減ればいいな、と。

 

さて、毎度、長々と語ってしまいますね。

現場からしばらく離れていますが、こうして教員の仕事について久々にじっくりと考えることができ、

何やら達成感を感じております。

もし、ここまで読んでくださった奇特な方がいらっしゃれば、本当にありがとうございます。

あくまでも、いち教員、いち個人としての意見をまとめたものですので、

もし異論、反論等ございましたら、お気軽にコメントいただければ幸いです。

 

すっかり夜も更けてしまいました。

明日も子育てがんばるぞー。では、また。

読書記録 — 湊かなえ「告白」

覚え書き。たったいま読み終わりましたので。

湊かなえさんの小説を読むのはこれが初めてです。

 

なんか、湊かなえがすごいらしいから、いつか読んでみよう…

読むなら、なかでもすごいらしい「告白」からだな…

 

と、かねてから思っており、先日ついに図書館で借りてきました。

 

※ネタバレにならないよう配慮したつもりですが、多少なりとも本の内容に触れないと読書記録になりませんので、

今後同作品を読むご予定のある方は、以下自己責任で閲覧してくださいね。

 

国語教師であり読書も大好きな私ですが、本を読むのはかなり遅いほうでして、

長編小説ならだいたい1週間くらいかけてゆっくり読むことが多いのですが、

この小説は2日で読めました。

 

スピード感がすごかった。

本を閉じられなかった。

ドキドキワクワクというよりは、先が気になって、気になって。

ここまで読み手を惹きつけてくるのは、作品全体に漂っている不穏さ、

登場人物たちのまとう何ともいえない不安感。そして密度を増していく心の闇。

幼い娘のいる身としては、まず序盤で胸が苦しくなってしまいました。

でも、決して「もうやめよう…」と思わせてくれない、最後まで見届けなきゃ気が済まない。

そんな本でした。

 

救いのない展開が続くなか、時々ちらりと光がさすような、うつくしい描写があったりして。

でもそれがまた裏目にでたり、他の人物によっていいように利用されてしまったり…。

個人的には、新任の「熱血先生」の頑張りが空回りに描かれたあたりが、

読んでいてたいへん苦しかったです。

こんなふうに、自分の「アツさ」を生徒に押し付けてしまうこと、あるなー…。

 

「…家庭訪問していたのは、○○くんのことを思ってですか?それとも、先生の自己満足のためですか?」

 

という生徒のせりふ、刺さったなー。教師が自分に酔っちゃうとロクなことがないよ、ほんとに。

 

ただ、ひとつだけ言わせてほしい。

 

新卒採用の教師が、あんな問題のあるクラスを引き継ぐなんてこと、

まずありえません!!

 

…まあ、これを言ってしまっては元も子もないんですけどね。

昨今、保護者対応やらいじめ問題に、学校もかなり敏感になっていますから、

新任の先生が担任持つことはあっても、その学級のことは周り中の教師が細心の注意を

払って見守っているはずです。私も、もしあの中学校の職員室にいたら、そうします。

いじめなんか起ころうもんなら、学年主任、教科担任、はたまた初任者指導員が

全力で察知するはずです。(まあ、ぜんぜん仕事しない人もいるにはいますが…)

「引き継ぎの調査書を読んでいない」発言も、現実問題としては考えにくい。

まず春休みの段階で、初任者指導員とみっちり名簿の読み合わせをさせられるはずですから。

(まあ、中には仕事しない指導員も…以下略)

 

…と、フィクションにツッコミを入れても仕方ないのですが。

いかんせん学園ものの創作では、学校の「隠蔽体質」が取り沙汰されることが多いのが

気になっておりまして。

 

私も中学校2校しか経験していないので、すべての学校がそうだとは言いませんが、

(事実、先日の横浜での「原発いじめ」のように、頑なにいじめを認めない教育委員会

 あると知って驚愕しましたが)

学校は基本的に、問題が起きやすいところには経験豊かな教員を配置する、

何か事件が起きたらみんなで情報共有して対応する、保護者にもきちんと説明する、

ということを徹底しているものです。

問題が起こったことより、対処しなかったことへの責任の方が重いですから。

 

何か事件に対する、学校のトンデモ対応がニュースになってしまうたびに、

「こういうのがニュースになるのは珍しいからなんだよー、多くの先生はちゃんとやってるよー」

とテレビに向かって叫びたくなります。

まあ、地道な努力は報われにくいものですね。

 

って、なんの話だ。

とにかく、読んでよかったですよ、「告白」。この読後の脱力感といったら。

映画にもなっているのですね。

私としては、少年Bの母親役に木村佳乃を配したあたりがナイスキャスティングだと思います。

2010年の作品ですが、ブレイク前の芦田愛菜能年玲奈橋本愛が出演していて、なかなか豪華ですね。

後日こちらも鑑賞しようと思います。

 

さて、読後感も少し落ち着いて、眠れそうな気がしてきました。

今日はこのあたりにしておきましょう。

またね。

教師の仕事のハードさと、やりがいについて。

お久しぶりです。マミです。

暖かくなってまいりましたね。

私はのんびりと育児休業中ですので、世の中の流れとはあまり縁のない生活をしておりますが、

胸にコサージュをつけた学生さんを街で見かけて「卒業式か…」とふと気づくなど、しております。

 

先日は、2年前まで勤めていた中学校から封書が届きました。

(長くなるので細かい説明は省きますが、筆者は2年前の春から現任校に採用され、

 今年度から育児休業を取得して今に至ります。)

あら珍しい、何かしらと封を開けてみましたところ、

当時1年生を担任していたのですが、その生徒達が今春卒業しましたという報せとともに、

お手紙が何通か同封されておりました。

 

すっかり忘れておったのですが、その学校では毎年、卒業前の生徒が

お世話になった先生(何人でもよい)に手紙を書くという習わしがあり、

大抵の子は今の担任の先生とか、部活の顧問の先生に書くのですが、

私のことをわざわざ思い出して書いてくれた生徒もいたのだなあ…と、じんわり心が温かくなりました。

 

中でも、学力的にちょっと大変で、いつも襟首つかんで補習に行かせていた子からの

「高校合格しました!!1年の時はありがとうございました」というメッセージには、

思わず目頭が熱くなっちゃいました。まあ、立派になって…。

時が止まったような生活をしていても、かつての教え子の成長を感じることができるなんて、

なんてしあわせな時間。本当に、これがあるから、教師の仕事はやめられません。

書いてくれた子達、そして私のもとまで手紙を届けてくださった先生方、

本当にありがとうございました。

 

私が現在、予定している休業期間は3年間。

その間に次の子が産まれる可能性もありますが、いずれにしても一番年下の子が3歳になる日まで、

教員は育児休業を取得することができます。

またいずれ改めて書こうと思いますが、公立学校教員の仕事は本当にハードなもので、

その大変さに反して勤務実態、待遇は目もあてられないほど「ひどい」です。

それでも、やっぱり、この仕事に戻っていきたいな。楽しかったな。と思う、今日のような日もあれば、

子どもを育てながら、果たしてやっていけるのか…? と不安になる日もあります。

 

何しろ、部活動顧問をしていれば、週末も休めない日が続きます。

平日は16時45分までの勤務のはずですが、この時間通りに帰ることのできた日は

数えるほどしかありません。とうてい終わるはずもない量の業務が降りかかってきます。

そして、勤務時間外の労働に対する報酬はありません。

 

※厳密には、教員の仕事の特殊性を鑑みて、基本給に4%だけお給料が上乗せされています。

 たった4%。これだけで、教員の時間外労働は「定額使い放題」なのです。

 

生徒が万引きすれば一緒にお店まで行き、家出すれば深夜まで保護者とともに捜索します。

「勤務」と「私生活」の線引きすら曖昧な毎日。

(大変な学校だった、というのも要因の一つですが。)

いま思えば「子どものために、無償でこんなに働いている私」に酔っていたようにも思います。

そこに、本当に、戻っていこうとしているのか?

私と、ナコ太さんと、おタマの、平和な家庭生活を、働きながら守っていけるのか?

 

まだしばらくは、自問する日々が続きそうです。

このブログにも思うところを綴りながら、これからも考えていこうと思います。