かあさんは雨女

語学と育児、その他いろいろ。

お久しぶりです。近況報告です。

こんにちは。

たいっっっっへんご無沙汰しております。語学大好きかあさん、マミです。

 

昨年夏に3年間の育児休業が明け、中学校教師の仕事に復帰してはや10ヵ月。

仕事でいっぱいいっぱいになる時もありながら、やっぱり大好きで続けている仕事なので、家事・育児と両立しながらたいへん楽しく続けております。

でも、ブログの定期的な更新はやはり難しかった…。語学の学習も思ったように進まず。

このことについては、これからゆっくり振り返っていきたいと思います。

 

今回は近況報告の記事なので、さくっと私の現状をお伝えしておきます。

 

昨年冬、第二子の妊娠が判明し、今月からは産休に入りました。

2年前に一度、子宮外妊娠を経験していたのもあって(これがなかなか壮絶なエピソードだったので、いつかまとめて振り返りたい)、今回胎児の心拍が確認できたときには産婦人科でギャン泣きしてしまった私。

妊娠9ヵ月に入り、お腹もだいぶ大きくなってきました。

ここまで無事に育ってこられたこと、本当にありがたく幸せに思っています。

ちなみに男の子です。もうすぐ4歳になるおタマも、「おねえちゃんになるの!」と張り切っています。「おむつ替えてあげるの!!」とか今から言っていますが、それより自分でお着替えできるようになってくれたら嬉しいんだけどなー。

ともあれ、一家なごやかに健康に過ごしております。

 

つわりを堪えながらの教員生活もなかなかハードでしたが、管理職や学年主任には早めに報告し、様々な形でサポートをしていただきました。

新型コロナウイルスの影響で、私の勤務校もとつぜん休校になったり、また再開したり、分散登校になったり…おタマの保育園からも登園自粛要請が出て、在宅勤務をする日もあれば子連れ出勤(!!)を余儀なくされるケースもあったり…と、その都度判断に追われはしましたが、基本的には「妊婦と子どもは家にいるのが安全だよね」との感覚を職場で共有していただき、お陰様で平常時よりゆったりと家で過ごせた日も多かったように思います。

 

まぁ、3歳児を連れて外出もできず、家でずーっとブロックや絵本で遊ばせることしかできなかった時期は辛くもありましたが…。

 

今のところ、保育園も通常通り通えるようになり、もちろん気を抜くことはできないものの、こうしてゆっくり近況を振り返る時間がとれるようにはなりました。

これからまた、どうなるかわかりませんけどね…。このまま収束に向かってほしいものです。。

 

というわけで、出産予定は8月初旬。

無事に出産できれば、そのあと2年間の育児休業に突入する予定にしております。

 

いちど更新が途絶えかけてしまった当ブログですが、また語学や漢検の勉強を再開しながら、以前のような頻度で更新していきたいと思っています!

まずはリハビリだ! ロシア語・スペイン語・英語の単語をいちから覚えなおしながら、去年のレベルを超えていくぞ!!

 

とはいっても、大きなお腹を抱えての生活ですので、無理はしません(笑)。

私の体質なのかもしれないけれど、妊娠中って眠くて眠くて…。

家にいると寝ちゃうので、なるべく外を出歩くようにしているんですが、あんまり密な場所にも行けないし、かといって散歩ばっかりもしていられない気候(暑い…!)だし…。

まあ、こんなゆるゆるとした妊娠生活の模様も、ブログの中でお伝えしていきますねー。

 

では、今日はご報告のみにて。

また近いうちにお会いしましょう〜。

日本人の働き方のヤバさ、公立学校教員の視点から。〜その②〜

こんにちは。

さっそく昨日の記事の続きを…といいたいところですが、とんでもないニュースを発見してしまったので、こちらを先に言わせてください。

 

夏休み16日に?母親からは賛否 | 2017/7/15(土) 19:43 - Yahoo!ニュース

 

〈以下、記事からの引用〉

吉田町教委の教育改革…町立小中学校の教員の多忙化を解消し、授業の準備時間などを確保することで質の高い教育を提供するのが狙い。夏休みを中心に長期休業を大幅に減らして授業日数を増やし、1日当たりの授業時間数を減らすのが特徴。2017年度の夏休みは24日だが、18年度は16日程度に短縮する方向で検討を始めた。

 

えーっと、夏休みを大幅に減らし、授業を増やすという動きだそうです。

まずこのニュースを見たとき、私は「うわぁ…更に先生が忙しくなるのか…」と暗澹たる気持ちになったのですが、本文には「教員の多忙化を解消(略)するのが狙い」とあります。

 

まったくもって意味不明です。

 

授業のない夏休み期間は、教員にとって、定時で帰れる数少ないチャンスです。

授業がないことで、昼間の時間を使ってゆっくりと書類仕事を片付けたり、普段できない教材研究をしたり、研修を受けに行ったりと、変な言い方ですが、勤務時間を使って仕事することができるのです。イレギュラーな生徒指導案件(生徒のケンカとか、いじめとか)が勃発する心配もありません。夏休みバンザイ、です。授業期間中には取得しづらい有給休暇を取れるチャンスでもあります。

それなのに、これまで夏休みだった期間に授業を詰め込むとなると、上に書いたような仕事をまた勤務時間外にやらねばならないことになります。教員の長時間労働を助長する施策に他なりません。

 

様々な事情で夏休みを縮める必要があるのなら、検討することは結構ですが、そこにもっともらしく「教員の負担軽減」などとウソっぱちを書かないでいただきたいものです。

 

 

さて、前置きが長くなりました。

日本の教員の働き方のヤバさについて、話をしています。

昨日は、授業準備以外にしなければならない業務の多さについて語りました。今日は、部活動と教員の待遇についての話、そしてこのメチャクチャな現状を打開するためのハチャメチャな解決策を示してみます。

 

②休日が部活動や地域の奉仕活動で潰される

 

教員のお仕事の中には、昨日書いた様々な業務とは別に、言わずと知れた部活動がありますね。この部活動、平日は18時頃(夏季)までやることが普通です。試合前になると、延長して18時30分終了になったりもします。教員の勤務終了時間は16時45分なので、部活動の監督をしているとそれだけで時間外労働になっちゃうわけですが、特に手当は出ません。

手当が出ないなら監督する必要ないじゃないか…と思われるかもしれませんが、部活動中に生徒が事故やケガ、トラブルなどに遭った場合、顧問が監督責任を問われます。実際には、部活をしている生徒を放っておいて職員室で仕事をしている先生も多いですが、私は自分の監督下にいる生徒がケガをしたり、いじめが発生したりするのが怖くて、常に部活に張り付いていました。ですが、これも教員による自主的な行動とみなされ、勤務にはあたらないわけです。責任が発生するのに、勤務ではない。頭がこんがらがってきます。

 

話がそれましたが、休日の部活について。休日に実施する部活動については「部活動手当」がつきます。なーんだ、お給料出るんだ…と安心してはいけません。これは自治体によりますが、この部活動手当には上限があります。だいたい3000円くらいのところが多いようで、昨年12月に「上限を3600円にする」というニュースが出て話題になりました。

手当が増えて嬉しい? とんでもないです。これは、「1日に、どれだけ長く働いても3600円しか出さない」ということなのです。部活動を1日中やったり、生徒を試合に連れていったりする場合、朝から晩まで12時間つきっきりということもままありますが、こういう日の場合、時給300円になる計算です。雀の涙どころか、ミジンコの涙くらいの額ですね。最低賃金などどこ吹く風です。

 

こういった、いわゆる「ブラック部活」問題に対しては、「部活顧問を拒否できる権利を!」という署名運動(クリックすると署名サイトに飛びます。詳しくは後述)があったり、「休日には部活をやらない」という考え方が広まってきたりしています。嬉しいことです。ただ、それでもまだ、保護者からの要望があったり、これまでの慣例を破れないなどの理由で、多くの教員がこの問題に悩まされています。

 

「ブラック部活」解決策の一つとして、長年実施されている「外部コーチ制」や「複数顧問制」というものもあります。文字通り、部活を専門にみてくれるコーチを配属したり、各部活に顧問を複数配置したりして、顧問の負担を軽減しようというものです。

しかし実際には、こういった制度が形骸化してしまっている現実があります。私が配属された中学校で、上記の制度を2つとも採用しているところがありましたが、実際には「外部コーチが、教員に部活に来ることを強制する」「複数顧問がいても、片方の顧問が自主的にずっと部活に参加しているため、(特に上下関係があったりすると)もう片方の顧問も休みづらい」「逆に、一切部活に来ない顧問がいて、もう片方の顧問が負担をすべて担わざるを得ない」など、いびつな状況が発生していました。特に外部コーチ制は、アルバイト扱いで勤務可能日数にも上限があり、つまるところ待遇が悪いため、ボランティア感覚で来ている暇なおじさんみたいなコーチばかり集まってしまい(失礼…まじめにやっている人もいますが)優秀な人材が集まり辛いというのが実情のようです。まあ、これも自治体によるでしょうけれど。

 

この他にも、地域でお祭りがあれば見回りをし、夏休みには夜間パトロール、地域の古紙回収事業への参加など、無償で労働を求められることがとても多く、こういったことに休日をどんどん潰されていきます。

 

③上記のように仕事量が多いにもかかわらず、残業代はゼロ

 

はい。ここまで、教員の重〜い業務負担について書きました。最後にお給料の話をします。

結論から言うと、教員に残業代はありません。どれだけ夜遅くまで残って働いても、基本的には、8時15分から16時45分までのお給料しか出ません。

 

「基本的には」と書いたのは、例外があるからです。教育公務員には、「教職調整額」という特殊手当があります。かいつまんで言うと、教員は特殊なお仕事で、例外的に残業することがあるから、あらかじめ基本給に上乗せして支払われる手当です。

 

その額は、基本給の4%。

 

繰り返します。4%です。

1日の勤務時間に換算すると、18.6分

これ以上の手当は、支払われることがありません。

つまり、いくら超過勤務があっても、教員は17時4分には帰れるだろうという前提のもとで、決められた制度です。この18.6分分の調整額を支払うことで、いくら残業しても、教員の労働力は定額使い放題。これ以上のお給料が支払われなくても「自主的に」遅くまで残って仕事をしてくれる、とっても便利な存在だと思われているわけです。

 

もうひとつ付け加えると、上記の「教職調整額」については、その対象となる時間外労働の内容が限定されています。

以下、中央教育審議会の文書(クリックすると全文が見られます)より引用します。

 

①教育職員については、正規の勤務時間の割振りを適正に行い、原則として時間外勤務を命じないものとすること。

②教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときに限るものとすること。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務

 

つまり、

1、実習や修学旅行などの特別な行事

2、職員会議

3、非常災害や緊急事態

 

これ以外の時間外勤務は、してはならない、命じてはならないと、文部科学省が明記しているのです。

ですが、これまでに書いてきた通り、実際に発生する時間外労働はほとんど上記以外のものです。日本の公立学校教員たちは、このように想定されていない時間外労働を、業務命令ではなく自主的に、好きこのんでやっているから、手当を支払うに値しないと判断されているのです。

 

以上、2回に分けて書いてきました。日本の公立学校の教員の働き方のヤバさについて、少しでも知っていただけたなら幸いです。

自分の経験について、勢いに任せてずいぶん赤裸々に書いてしまいました。公務員の守秘義務違反にはあたらないと思うのですが、私はまだ在職中ですので、バレるとまずいかもしれませんね。わはは。まあ本当にあったことを正直に書いただけですので、悔いはありません。

 

さて、ここで終わってしまうと、ただの一教員のグチに終わってしまうので、現状を打開するための解決策を以下に提示しておきます。

 

この「教員の長時間労働」を解決する手段。

ものすごく極端な、それでいてシンプルな手段をここに提示します。

 

それは、教員が、勤務時間におさまらない仕事を一切やらないこと

 

「あいつら好きで居残って残業しているんだから、残業代払う必要なんてアリマセーン」と言われるのなら、もう本当に残業なんかせずに、16時45分にみんな帰っちゃえばいいんです。

 

部活? そんなの知りません。業務命令じゃないんだし。

アンケート? 知りません。こなせない量の仕事を振るのが悪いんだから。

授業? 生徒が帰ったあとの45分間しか、準備に充てませんよ。ろくに準備ができなくたって、勤務時間が終われば家に帰ります。生徒の前で教科書をただ読むだけの授業にすれば、準備なんかいらないんだし、ね。

 

こうやってみんなが、与えられた時間でできる仕事しかしなくなれば、当然のように、学校は荒れます。授業の質も下がり、日本の子どもたちの学力も下がりますね。何とかしなければならない。ここで、行政がまともな判断をするのであれば、教員の待遇を上げなければならない、ということになるわけです。教員や事務職員の数を増やし、残業をしたときはきちんと手当をつけ、勤務時間内だけでも充分なパフォーマンスが出せるように制度を変えていかなければならない。

 

ただ、太字で書いてしまったのですが、これを実際にしたところで、行政がまともな判断をしてくれるかどうかがわかりません。そして、いわゆる「世間様」がこの現状を見て「教員がまともな仕事をしていない!」「給料泥棒!」というようなバッシングをしてしまいかねない(というか、現時点でもこういった言葉が頻繁に聞かれます。悲しいことです)。ここが、日本の「働き方」に対する考え方の歪みだと思うのです。

 

そして何より、全国の教員たちが上に書いたような強硬手段に出ることができないのは、目の前の生徒を放っておけないからだと思うのです。自分たちの待遇改善を求めて行動を起こせば、その皺寄せは生徒が被ることになる。自分がいま担当している生徒たちに、どうやって賢くなってもらうか、生きる力・考える力をつけて社会に出てもらうか、それだけを考えて教員になったのです(そうでない人も、いるかもしれませんが…)。だから、勤務時間外だろうが、無茶なスケジュールだろうが、いい授業をつくるために毎日遅くまで残って、働いているのです。

 

私は、このような状況のことを「生徒を人質にとられている」と表現します。

 

そして、その生徒のために無茶な働き方をすること、朝早くから夜遅くまで休みもなく働くことが「美しい」とされる世の中。「先生なら、それくらいして当たり前でしょ」。よく言われる言葉です。ですが、その「当たり前」のために、多くの教員が毎月100時間を超える時間外労働を余儀なくされ、私生活を犠牲にせねばならず、ひいては精神疾患や過労死に追い込まれているのが現状なのです。

 

「先生がきちんと働けていないのなら、待遇を上げなければならない」。

 

世界では当たり前の考え方ですが、これが日本ではあまり共有されていないこと。

このことが、最も大きな問題だといえるかもしれません。

 

さて、夢も希望もないようなことをつらつらと書いてきましたが、嬉しい動きもあります。

全国の教員たちが立ち上がって、待遇改善に声を上げ始めているのです。

2つの署名活動があります。私も微力ながら参加していますが、以下にリンクを貼っておきます。

 

部活問題 対策プロジェクト

「教員にも、部活動顧問に参加しない権利を」という趣旨のプロジェクト。教員の負担だけでなく、強制的に入部させられる生徒側の負担にもスポットを当てています。

 

教職員の働き方改革推進 プロジェクト · Change.org

こちらは「教職員の時間外労働に上限規制を設けてほしい」という趣旨のものです。

 

こういった動きがあるのは、本当に喜ばしいことですし、忙しいなかでこのようなプロジェクトを立ち上げてくださった先生がおられるという事実に、本当に頭が下がる思いです。

もし、このブログを読んでくださっているあなたが、この記事に少しでも共感してくださったなら、上記プロジェクトにも応援の手を差し伸べていただければと思います。

 

たいへん長くなりましたが、教員の働き方について、私が思うことを述べてきました。

 

一応ことわっておきますが、これまでに書いた学校現場での事例はあくまで私の経験にもとづく描写です。学校によって、自治体によって、地域によって学校の方針は変わってきますので、「こんな学校ばかりじゃないよ」という意見があれば、それはもっともだと思います。ただ、こういう現場もあるんだということを、わかっていただきたかったのです。

 

さて、ものすごく真面目な話になっちゃいましたが、次回からはまた、お気楽にロシア語学習の話をしていきたいと思います。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

 

では、またお会いしましょう。

日本人の働き方のヤバさ、公立学校教員の視点から。〜その①〜

こんにちは。

今回は語学の話はお休みして、気になった話題を取り上げてみます。

 

www.from-estonia-with-love.net

 

日本の労働者の働き方のヤバさ。

私も常々気にしているテーマだけに、色々と考えさせられました。今回は、日本で働く公立学校教員(育休中ですが)としての視点を交えて、この問題について考察してみます。

 

この記事の内容についてはリンク先を読んでいただきたいのですが、かいつまんで言うと、「欧州諸国の人々にとって日本人のイメージはもはや、低賃金で長時間労働でも喜んでていねいな仕事をしてくれる、便利な労働力というもの」だという主張。この記事によると、アメリカに住んでいる人も日本に対して同じイメージを持っている、ということですが、短期とはいえオーストラリアでの生活を経験したことのある私としても、おおむね同じ意見です。

欧米を含む諸外国(乱暴なくくりですが、日本以外の多くの国がそうだと思うので、あえてこの言い方をします)では、

 

「働くときは、給与や待遇に見合った働き方をする。ていねいな仕事をしてほしければ、待遇を良くしなければならない。」

 

というのが常識です。ところが日本では、

 

「給料が低かろうが、待遇が悪かろうが、仕事に対して手抜きをしてはならない。生活が苦しくても、残業が多くて辛くても、我慢して働き続けるのが素晴らしいこと」

 

という考え方が一般的です。その結果、無理な働き方をして精神を病んでしまったり、過労死をする人が後を絶たず、社会問題になっていますね。

 

また、日本では「休みを取るのは悪いこと」というような発想もまだまだ根強いです。欧州諸国だと、従業員に有給休暇を全て消化させないと企業に対して罰則がでたり、週あたりの労働時間上限(だいたい40時間?)があって、それより多く働かせてはならないという法律があったりしますが、日本ではそのあたりがガン無視されています。私も教育現場で働いていて、有給休暇が確か年20日ありましたが、一年目は休暇の取り方もよくわからなくて一年間で0.5日しか取りませんでしたし、その後も年5日も取っていないと思います。

 

更に、日本では「体調を崩したりしたときに困るから、有給を残しておく」という人も多いですが、欧州では「カゼをひいて休む」などというときに有給を消化するのはおかしいので、有給とは別に病気休暇(その間も給与は満額支給)が設定されている場合がほとんどだそうです。日本の会社では、なぜか「カゼをひくのは自己責任だから、有給を使って休む」とか、さらには「カゼをひいても、休むと迷惑をかけてしまうから、無理して出社する」みたいなケースも多いですよね。そこまでして「頑張って働かないといけない」というような、強迫観念のようなものすら感じます。

 

また、多くの自治体では女性の職員に「生理休暇」というものを与えています。文字通り、月一回、生理が重い日には休んでもいいよ、というもの。ただ、私はこの「生理休暇」というものを使ったことがないし、使っている人も見たことがありません。休みを取ったって周りに負担がかかるし、その日の仕事を別の日にやらなきゃいけないだけだから、意味がないんです。ですが、休暇を与えている側としては「休暇があるのに、あいつら使わないで勝手に仕事してら」という理屈になるわけです。休暇があるなら、きちんと使われているか確かめるのも役目のうちなのに、です。おかしな話です。

 

ここで、日本の公立学校業界の話をします。

もう広く知れ渡っていることですが、日本の公立学校は、とんでもないブラック労働を教員に強いています。まさに、上記リンクで触れられている「日本の労働者の働き方のヤバさ」を代表するものだと思います。以下にその理由をつらつらと挙げてみます。

 

 

①授業作り以外の業務量がものすごく多い

 

教師の仕事の本分は、授業です。子どもに勉強を教えたいから教師になる。当たり前の発想ですよね。私も勉強が大好きで、学ぶことの楽しさを子どもたちと共有したくて教師になりました。

ところが、実際に教育現場で働いてみると、とにかく授業や授業準備以外の業務量が多い。とてつもない量です。

先に教員の勤務時間を示しておくと、私がいた学校では、8時15分開始、16時45分終了でした。1日の授業が終わり、掃除やショートホームルームを含めて、生徒が下校するのは16時前後になることが多いですが(このあと部活が始まるのはまた別のお話)、残り45分ではとうてい終わらない量の業務が次から次へと押し寄せます。

(そもそも、この45分で明日の授業の準備をしろというだけでもムチャな話ですが…)

以下にその例を挙げます。

 

教育委員会から無数に降ってくる各種調査

「中学生の生活習慣に関するアンケート」「いじめアンケート」「薬物濫用に関する調査」…などなど、とにかく「お上」から降ってくる調査書類がものすごく多いです。こういうアンケートが降ってくるたびに、ホームルームで生徒に配布して答えさせ、それを集めて各項目ごとの答えを集計し入力。自由回答のものがあれば、それも一言一句残らずパソコンに打ち込み。これ、すべて教員の仕事です。教員自身に色々聞いてくるアンケートも含めると、本当に膨大な量です。事務員は、私の経験では各校に1人か2人しかいないことがほとんど(中学の場合。高校はもう少し多いかも)で、いつも学校全体の事務処理に追われておられるので、とても頼むことなどできません。

また、中学3年生になると、年に何度も進路希望調査が行われますが、第1希望〜第3希望まで、全ての生徒についての情報を入力し、志望校ごとの一覧表を作成したり、成績順に並べ替えて資料を作ったりするのも、すべて教員がやります。こういう作業が立て込んでくると、「私はホッチキスを留めるために教員免許をとったのだろか…」と、本当にむなしい気持ちになってきます。

 

・長引く会議(特に行事前)

学校には職員会議というものがあります。これは勤務時間内に終わるよう設定されていることが多いですが、上に書いた生徒下校後の大事な大事な45分間を、ここで使い切ってしまうわけです。終わったらすぐ退勤〜♪というわけにいかず、そのあとで、ここに書いたその他もろもろの業務に追われていくのです。

 

このような定例の職員会議は、だいたい月に1回程度だと思いますが、これ以外にも色々な会議があります。特に多いのは学年会。学年ごとに、直近の行事について話し合ったり、生徒指導案件を共有したりする会議です。特に修学旅行や林間学校などの前(といっても半年くらい前から計画を始めることが多いので、常に何かしら行事の話をしているわけですが)には、班別学習でどの班がどこを回る予定かとか、どの生徒がアレルギーを持っているからどの食事でどの食材を除去するかとか、新幹線の座席をどのように配置するかとか、こういう細か〜いことを繰り返し繰り返し議論します。

私はまだやったことがないですが、宿泊行事の担当者になっちゃったりすると、本当に悲惨です。忙殺されます。学校によっては百人以上の生徒を抱える大旅行について、旅行会社の担当者さんと打ち合わせをし、綿密な計画を立てるという責任が両肩にのしかかってきます。教員は旅行エージェントまでやらなきゃいけないのか?と目を疑うばかりの仕事量で、授業なんかそっちのけで宿泊行事成功のため、全力を注がなければなりません。

 

この他にも、「○組の○○さんがガムを学校に持ってきていた」とか、「×組の××君がゲームセンターに入り浸っていて地域から苦情が来た」などといった雑多な話題もいちいち持ち出して、どのように指導していくかを学年で話し合わなければなりません。本当に、勉強だけ教えさせてくれよ…とため息をつきたくなるような事例が絶えないのです。

 

・存在しない昼休み

公立学校教員は地方公務員です。当たり前ですが公務員にも労働規定はあり、1日の労働時間のうち45分の休憩時間を確保しなければなりません。これ、書類上では「昼休憩」としてしっかり設定されているのですが、実際には教員に昼休みは存在しません。昼休みは昼食指導といって、生徒がお弁当や給食をお行儀良く食べているか、目を光らせなければなりません。担任を持っていなくても、給食準備や片付けで生徒がきちんと係分担できているか、廊下でトラブルが起こらないか、見張っていなければならないのです。自分の分の昼食は秒でかきこみます。その昼食すら、生徒同士のケンカの仲裁や他の業務の消化などで、満足に取れないこともあります。

 

また、生徒には昼休みがありますが、この昼休みの時間に教員が休憩できるわけではありません。昼休みを利用して生徒が部活をしたり、委員会を開いたりする場合、教員はそこについて監督しなければなりません。また、昼休みは、生徒が学校生活で最も開放的な気持ちになる時間。言い換えれば、ケンカや小競り合いなどの問題が起きやすい時間でもあります。生徒が学校で何か問題を起こすと、それはすべて教員の責任ということにされてしまうので、ここでも教員は「自主的に」廊下に張り付いて生徒を見張っています(別に怖い顔をしているわけではなく、生徒と談笑したり教室で仕事をしたりして、生徒のそばに極力いるようにします)。

 

「そんなことまでしなくても、職員室で休んでてもいいやん…」と思われるかもしれませんが、昼休みに教師のいない教室でイジメでも発生しようものなら「どうして先生が見ていてくれなかったんですか!!」と各方面からクレームが押し寄せること必至なのです。世知辛い世の中です。教員たちは、生徒を、そして自分の身を守るために、「あくまで自主的に」昼休みを犠牲にしているのです。

 

・書類を作るときの「謎の表記ルール」

教員は公務員なので、公的な書類を作成することもあります。たとえば、指導要録といって生徒一人ひとりの個人情報を記載した書類や、高校入試のときに提出する調査書、教育委員会の偉い先生方に見てもらう研究授業の指導案(授業の設計書のようなもの)、などです。

こういう書類を作成して管理職に提出、チェックをもらうわけですが、そのときに本っ当〜にどうでもいい、細かい細かいルールに則って書き直しを命じられることが多いのです。たとえば、「この生徒は『英検3級』取得と書いているが、こちらの生徒は漢数字で『英検三級』になっている。どちらかに統一せよ」とか、「段落はじめの一字下げる部分が、五行目のココだけ半角になっている。体裁を整えよ」などなど。自治体によっては、漢字の使い方にもいちいちルールが決められていて、「〜すること」の「こと」を漢字で「事」と書いてはいけないとか、そんなこと内容に関係ある!? とウンザリするようなルールが山ほどあります。こういうルールが厳守されることで、チェックする側も、される側も、本当に無意味に神経を磨り減らされます。いったい何のために、誰のために…と自問自答する日々です。

 

・ペンキ塗りや花の水やり、そうじなどの「自主的な仕事」

これは教員の仕事を始めて本当に、本当にびっくりしたのですが、校舎の壁のペンキを塗るのも教員の仕事なのですよ!! 信じられますか? まあ学校によるでしょうけれど、私のいた学校はそうでした。年に1回、汚れた校舎の壁を、感謝をこめて真っ白(他の色のこともありますが)に塗る。このペンキの調達、ローラーやハケの掃除、マスキングテープの調達まで、すべて教員の仕事でした。もう教員の仕事をバカにしてますよね。

 

他にも、特に若手教員に対してですが、鉢植えの花に水をやったり、朝ほかの先生よりも早く来て職員室を掃除したり、といったことを「やらなければならない」という空気があります。もう、こうなると教員でも何でもない、ただの何でも屋さんです。一応言っておきますが、用務員さんはいますよ。でも、この用務員さんに先駆けて若手教員がやるのが「えらい」そうです。私にとっては、用務員さんの仕事を奪っているようにしか見えませんでしたし、勤務開始より早く学校に行くなんて嫌だったのでやりませんでしたが、やってる若手さんがほとんどでした。毎日お疲れさまです。

 

・その他、生徒指導事項

とある事例を紹介します。

勤務時間もとっくに終了した19時。当然のように職員室に残って仕事をしていると、警察から電話がかかってきます。いわく、「そちらの学校の○年○組の○○君が、コンビニで万引きをした」とのこと。こういう電話を受けたら、担任は「へえ、そうですか。教えてくださってありがとうございます」というわけにはいきません。速攻で現場に向かい、指導にあたります。もちろん親にも連絡がいきますが、勤務時間外であろうが、たとえ深夜であろうが、学校も連絡を受けたからには現場に向かわなければならないという謎ルール。生徒と一緒にお店に謝り、警察に謝り、保護者(現場に来てくれないようなネグレクト保護者だったらなお悲惨)と共に生徒を叱り、家に帰し、学校に戻り、学年主任と管理職に口頭で報告をしたのち、報告書を作成し、管理職にチェックを受けるまでがお仕事です。で、ここから明日の授業の準備が始まるわけです(ひえ〜)。

 

万引きの他にも、生徒が家出をすれば保護者と一緒に探しますし、不登校の生徒がクラスにいれば、定期的に家庭訪問をして様子を確認します。いじめで生徒同士がもめれば保護者も交えて学校で話し合いをします。「上履きが隠された」という生徒と一緒に校内をくまなく探しまわったことも数知れず。現代の生徒さんはスマホを持っている子が大多数で、またその大部分の子がLINEをしているので、LINEで仲間はずれにされた、悪口を言われたという事案も後を絶ちません。こういったことが発生すると、携帯電話の中だけで起こったことの事実確認をするという禅問答に近いことをしなければならず、またその都度、学年主任や管理職、ひいては教育委員会につぶさに報告しなければならないので、ものすごく疲弊します。でも、これをやらないと「いじめを隠蔽した!!」とバッシングされますからね。何度でも言いますが、世知辛い世の中です。

 

ずいぶん長くなりましたが、ここまでが「教員の働き方のヤバさその① 授業作り以外の業務量がものすごく多い」です。

 

「授業の空き時間に仕事すればいいんじゃ?」という声もあるかと思いますが、私の経験ではそれでも足りないことが多く、また先生によっては「授業がぎゅうぎゅうに詰まっていて空き時間がほとんどない」という状況もあります。それと、学校によっては空き時間の教員で校舎の見回りをするというルールを設けていることもあるので、忙しさに変わりはありません。

 

こういった忙しさ、仕事内容のハードさから、全国で毎年約5000人の教員が、精神疾患のため休職に追い込まれています。異常です。が、現時点では、ほとんど何の対策もなされていません。

 

さて、ここから「教員の働き方のヤバさその②」に続きますが、ものすごく長くなったので今日はここまでにします。明日は、部活動や教員の待遇についての話をします。

 

では、おやすみなさい。 

 

次の記事はこちら↓

日本人の働き方のヤバさ、公立学校教員の視点から。〜その②〜 - かあさんは雨女

「勉強が好き」と言うと変態扱いされる国、にっぽん。

こんにちは。

もうすぐ10ヵ月の娘、まだハイハイしないのですが、先につかまり立ちをマスターしつつあります。座椅子に座ってダラダラしている私の肩によじ登ってきて目潰しをお見舞いしたり、私の服をめくって腹太鼓を叩いたりしてきます。かわいいです。

 

さて、スペイン語検定を受ける日が10日後に迫ってまいりました。ドキドキです。昨年受けた6級と比べると、今回の5級は試験範囲となる時制が一気に広がり、語彙も1200語ほど必要になってきますので、少しずつペースを上げて学習に取り組んでいます。

 

というわけで、これからしばらくはスペイン語の話をすると思うのですが、その前に。

 

「あれ? この人、こないだロシア語勉強してなかったっけ?」

 

とお思いの方。いい質問です。ありがとうございます。

私の趣味は、勉強です。

その中でも、とりわけ外国語の勉強が好きなのですが、実は外国語に限らず、色々な分野に手を出して知識を広げるのが大好きです。数学検定や漢字検定など検定試験をしょっちゅう受けていますし、暇さえあれば録り溜めたNHKの教養番組ばかり観ています。大学時代は、学年が上がるほど必修科目が減っていくのをいいことに、文学、哲学・倫理学歴史学、経済学などなど、専門外の授業にもぐりこんでは講義を聴いていました(ちなみに専門は日本語教育学です)。いま思えば、理系の授業にももっともぐれば良かったとすこし後悔しているくらいです。

 

と、こういう話をすると、まず受けるリアクションは、

「まじめなんだねえ」

「意識高いねえ」

というもの。

「趣味は勉強」というと、露骨に「この人、変な人だ…」という視線を浴びることもよくあります。どうやら、大人になってまで勉強したい人は少ないらしい。「まじめとかじゃなくて、ただ単純に楽しくって勉強している」ということが、理解されづらいらしい。

そもそも「勉強が得意な人」のイメージが、あまり良くないらしい。

と、感じることがよくあります。

 

今回は、このへんのもやもやについて、自分なりに考察してみようと思います。

 

以前もちらりと書きましたが、私は世間一般にいわれる「いい大学」を出ています。ですが、出身大学を聞かれるのが苦手です。「えっ! かしこいんだね」とか言われると、どうリアクションしていいのかわからないからです。

これが、プロのサッカー選手であれば「昔からスポーツが得意で…」とか、バンド活動でCDが売れた人なら「ギターを弾くのが好きで…」とか言えるのでしょうが、勉強が得意な人が「昔から成績が良くて…」と言うのは許されない空気、これ、何なのでしょうか。ずっと、もやもやしています。出身大学を言った結果「かしこいんだね」と言われた際の模範解答は「勉強くらいしかできなくて…」です。あと、「私、おたくなんです」とか。こういう自虐的な解答が、どうやら好まれるようです。

また、最近よく聞く「意識高い系」という言葉も、学ぶ姿勢をもつ人を小馬鹿にするような響きで使われていますね。私はこの言葉が苦手です。

 

勉強が好きな人は、変わった人。

勉強しかできない人は、どこか、おかしい人。

 

そんなふうに思われてしまう風潮が、あるように感じています。

原因の一つは、はっきりしています。それは、みんなが「勉強は辛く、苦しいのを我慢してするもの」だと思っていることです。

本来、新しい知識や考え方を身につけることは楽しいことのはずです。ですが、大人たちはみんな「学校で、やりたくもないことを、無理やりやらされた記憶」または「やらなくて叱られた記憶」が脳にこびりついていて、「勉強は辛いもの、苦しいもの」だと思い込んでいるのです。そんな中で、「その苦しみに堪えて良い成績をとった人」、つまりいわゆる「がり勉」タイプの人に対する歪んだ視線が生まれるのではないでしょうか。「あいつ、すげえ」と思いながらも、「勉強ばかりするヤツは、どこかおかしいに違いない。元気いっぱい遊んだほうが健全だ」というような、倒錯した思いです。

 

少し前に、こんな広告を目にしました。

某「聞き流すだけ」系、英会話教材のキャッチコピーです(宣伝になるのは嫌なので、名称は伏せておきます。)

 

「英語、勉強しなくて良かった!」

 

この教材では、英語の入った音声を聞き流すだけで英語がわかるようになるので、机に向かって「勉強」する必要がないのだ、ということらしいです。楽しく英語を身につけることができるので、辛く苦しい思いをして「勉強」しなくていいし、学生時代に「勉強」をさぼっていたあなたは悪くないんだよ、ということです(あくまで私の解釈ですが)。

私はこのコピーを見たとき、愕然としました。聞き流すだけにしたって、英語を身につけているならば、それは立派な「勉強」じゃないのか。この矛盾に気づいたのか、今ではこのコピーを目にすることはなくなりましたが、これはまさに「勉強」という言葉に付随する悪いイメージを象徴している事例だと思います。

 

そんなに、日本人は、勉強したくないのか。

 

かく言う私も、高校までは、勉強が楽しいと思ったことはほとんどありませんでした。「いい高校に入れば、何か変わるかもしれない」「いい大学に入れば…」ずっとそんなことを考えながら、苦しみながら机に向かっていたように思います。

転機が訪れたのは大学時代、シドニーに留学したときのことでした。世界が一気に広がりました。今まで、苦しみながらも身に着けてきた知識が花開き、他の分野の知識とつながって自分の視野を広げていくのがわかりました。語学の知識だけでなく、他の国から来た人と話すのには歴史の知識、科学の知識、そして いっけん関係ないような分野の知識でもたくさん役に立ちました。また、大人になってもなお様々な分野で学ぼうとする人がたくさんいて、そのアプローチの仕方も様々でした。

勉強は、学生だけがするものじゃない。

そう思えたのが、留学での最も大きな収穫でした。

 

短期留学を含めた休学期間を終え、大学に戻ると、授業を受けることがものすごく楽しくなりました。それまで興味も何もなく適当に専攻を選び、授業をさぼったり、バイトを増やしたり、いいかげんなレポートを書いてやり過ごしたりしていたことの、なんともったいないことか。自分の好きな分野を、好きなだけ学んでいい場所、大学。天国のようなところじゃないか。私は取れる限りの授業を履修しました。専攻も卒論のテーマも変えて一からやり直し、教員免許を取りました。その結果、大学を卒業するのに8年かかりましたが、大学に通うのは本当に楽しくて、毎日が充実していました。ちなみに、本来ならば卒業するはずだった年の4月に夫と入籍しましたが、婚約中にもかかわらず在学を延ばすことを快く受け入れてくれた夫には頭が上がりません。

 

こうして大学を卒業し教師となった私ですが、連日の残業、週末は部活漬けで、仕事をしながら勉強というのは容易なことではありませんでした。このあたりについては前回記事にも少し書いていますが、教師が自分の学びたいことをゆったりと学べる制度がもっと充実すればいいと思っています。そうして教師4年目に娘を妊娠し、産休に入ったのを機に、また「暇さえあれば勉強」の生活に戻ったというわけです。育児の気分転換にも、ちょうどいいです。

 

ことわっておきますが、私は他の人と比べて特にまじめだとか、ストイックな性格だということはありません。だらだらと昼寝しながらお菓子を食べるのが大好きですし、できれば楽しいことだけをして生きていきたいと思っています。

そんな私が、なぜ勉強ばかりしているかというと、楽しいからです。

できなかったことができるようになったとき、人間は、快感をおぼえます。RPGのゲームでいうならば、強いボスを倒すために仲間を集め、経験値を貯め、アイテムを手に入れていく作業は楽しいものです。スポーツでも音楽でも、「これがやりたい」と思うとき、人は努力して知識を身につけ、スキルを手に入れます。それは、できなかったことができるようになる快感を得るためではないでしょうか。勉強も同じです。特に外国語の学習は、知識を積み上げた分だけスキルが身につくのがわかりやすく、定期的に検定試験があって目標も立てやすく、旅をする楽しみにもつながるので、ずっと続けています。

 

先日、NHK Eテレの経済学番組「オイコノミア」で、教育学者の濱中淳子氏がこんなことをおっしゃっていました。

「大学は、仕事で役立つ知識を身につける場所だと思っている人が多い。だから、専攻と直接関係のある仕事に就かない限り、大学教育は役に立たないと言われてしまう。けれど、大学の学びで大切なのは、そこでどれだけ学習したかという経験そのもの。大学で「学習のしかた」を身につけた人は、大学を卒業しても強みをもって生きていける。」

うろ覚えですが、だいたいこんな内容でした。私はまさに、大学で「学習のしかた」を身につけたのだと思います。学びつづけることができれば、人生は、より楽しい。そう思って学びつづけています。

 

ちなみに今回のサブタイトルに「にっぽん」と入れたのは、諸外国に比べ、社会人になっても大学や大学院で学ぶ人の割合が低いためです。その根底には、上に書いた「勉強への恐怖」が根強くあるためだと、私は思っています(日本人は働きすぎ、というのもありますが)。日本の子どもたちにも「学ぶことはしんどいことじゃなくて、楽しいこと」と思ってもらえるよう、教師としても、一人のおとなとしても、精進してまいりたいと思っております。

 

では、今日はこのへんで。

次回あたりから、スペイン語検定対策の話をしていきますね。

おやすみなさい。

 

中学1年生に、オールイングリッシュの授業は可能か。

こんにちは。梅雨が近づいていますね。

北陸でも、雨が降ったりやんだり、じめじめしています。

我が家ではこの季節に梅仕事をするのが恒例行事なのですが、今年も青梅がたくさん手に入ったので、さっそく梅シロップを仕込んでいます。青梅を洗って水にさらした後、ぎっしりの上白糖で漬け込んで数日放置すれば、梅の果汁がとろりと溶け出して美味なのです。去年は産休前のごあいさつに、職場の先生方に梅シロップを配りました。あれからもう1年経ったのだなあ。早いものです。

 

さて、前回の英語学習記事について、いくつかご指摘をいただきました。

それらに答えつつ、記事の後半では日本の教師の働き方、教育の在り方についての少しスケールの大きい話になりますが、よろしければお付き合いください。

 

まず、politician/statesman問題。

アメリカ英語では、この違いを意識したような用例が数点あるということでした。以下に、紹介していただいた文例を載せます。

 

A politician thinks of the next election. A statesman, of the next generation.

(politicianは次の選挙のことを考え、statesmanは次の世代のことを考える。)

 

まさに、「politicianはお金のためだけに政治をしている」というニュアンスを含んだ表現ですね。

また、"we need statesmen, not politicians(politicianは要らない、statesmanが必要だ)"という表現もあるそうです。

こうなってくると、こんなニュアンスの違いがあるにもかかわらず、報道ではpoliticianが使われていることの方が不思議に思えてきますが、やはり「statesman との対比が行われないかぎり、politicianはニュートラルに政治家を意味する」という解釈でよいのだろう、ということです。

ことばって、意味もニュアンスも場面や時代で変化していくし、本当に難しいものです。私も文句ばっかり言ってちゃいけないな。勉強しつづけよう。

 

他に、「"How are you?"も" I'm fine, thank you. And you?"も、使わなくはない。ただ、この表現のみの画一的な指導になってしまうことが問題なので、場面や文脈に応じて色々な表現を教えるべきだ」という意見もありました。

全くその通りだと思います。

英語の「お元気ですか?」に相当するあいさつ表現は、ざっと思い浮かべただけでも、かなりの種類が存在します。

 

How are you (doing)?

How have you been?

What's up?

How's it going?

How's life?

 

などなど。調べればもっと出てきそうです。どれも少しずつ、使う場面や想定される相手が異なります。しかし私の記憶している限り、中学・高校と6年間英語教育を受けた中で、出会った事のある表現は"How are you?"だけです。この偏りが問題なのです(私の学生時代の話なので、現代では多少改善されているのではないかと思いますが)。

 

私はロシア語を学習していますが、初級テキストの段階でも同じように「お元気ですか?」に相当する表現がいくつも出てきました。私が学習に使っているNHKラジオの「まいにちロシア語」講座でも、講師の先生が「色々なバリエーションがありますが、初級のうちにしっかりおさえておくことで、実際の会話でも落ち着いて受け答えができますから」というようなことをおっしゃっていました。

こういった「実際に話すときに困らないように」という視点が抜け落ちてしまいがちなのが、これまでの英語教育だったのではないかしら、と思うのです。

 

現在、英語教育界では「オールイングリッシュで授業を」という要請が高まっています。文字通り、授業の最初から最後まで、教師は英語のみを使って指導し、生徒も英語で受け答えをするという授業です。

以前、オールイングリッシュを実践している先生の授業を見学したことがあります。なんと、対象は中学1年生。進学校ではなく、ごく普通の公立中学校でしたが、みごとに英語のみでの授業が成立していました。ちょっとその授業の様子を、思い出して書き留めてみます。

 

生徒数は20人。これは普段の学級の半分の数です。この中学校では、英語科の教員を複数配置することで、1クラスを2つに分けて授業することができるようにしていました(チームティーチングの形をとっている学年もあったように思います)。私は正直、「国語科でもそれやってよ…」と思っていましたが(泣)。この「少人数指導」の形も大きなポイントだと思います。

授業の最初に、先生がまず「調子はどう?」と生徒たちに問いかけます。全体に向かって問いかけ、全員が一斉に答えるやり方ではなく、一人ひとりの生徒の席まで行き、目を見て語りかけます。生徒は、それぞれ自分の調子に合わせて「元気です」「ちょっと眠いです」「疲れています」などと、懸命に考えて英語で答えていました(全員にやるわけにいかないので、たぶん3人くらいでしたが)。その答えに対しても、先生が「そっか、疲れてるんだ。部活がんばったんだね」などとテンポよくコメントを返してあげたりしていました。そのつど、生徒には「自分の英語が通じた!」という成功体験の記憶が残るわけです。また、周りの生徒も、そのやり取りに耳を傾けて「生のコミュニケーションを聴き取る」という経験を積み重ねることができます。

ここに書いたのは導入部のみですが、おおむねこのような感じで「プリントを配ります」「小テストをします。紙を裏返して」「名前を書いて」などの指示も全て、テンポ良く英語で行われ、きちんとその指示が通っていました。わからない生徒には、わかる生徒が教えてあげていましたし、それを「私語は禁止」などと咎めるような空気もありませんでした。

 

これを見て、私ははじめ「1年生の授業でオールイングリッシュなんて、無理じゃないの」なんて思っていた自分が恥ずかしくなりました。そして「こういう授業、受けたかった…」と切に思いました。もちろん、このような授業を実践するには高い会話スキルが必要ですし、個々のコミュニケーションを成立させつつ全体をだれさせないテクニックも不可欠です。ですが、こういった授業の中で、少しずつ「自分にも英語ができる」経験を積み重ねるような授業こそが、いま求められているものなのだと思います。

 

ただ、上から号令をかけて「オールイングリッシュをやりなさい」と言うだけでは現場は何も変わらないので(文科省はそういうやり方を通そうとしているようにも思えますが)、きちんと先生方が自分のスキルを磨くことができるような配慮があればいいな、と思っています。具体的には、雑務が多すぎて授業準備が後回しになってしまうような現状を何とかしないと、ということです。

私も、働いていたときは「部活に顔を出し、会議に出席し、教育委員会の調査アンケートに答え、日誌に記入していたらもう21時」みたいなことが日常的に起こっていて、そこから更に授業準備、教材研究をする気力はとうてい絞り出せない、という状態が普通でした(それでも必要なときはやっていましたが)。

ですから、毎日深夜に帰宅して眠るだけの生活を送っている先生に「勉強不足だ!」「ずさんな授業をするな!」などと言うのは、あまりに酷なことだと思うのです。まあそれを言ってくる先輩教師もいましたが、こういう人の言うことを聞いていたら過労死するので、適当に受け流すに越したことはありません。

何にしても、このような「社畜」的生活ではなく、きちんと定時の16時45分に仕事を終え、後の時間を自由に使えるとしたら、自分のスキルを磨くための学習や、視野を広げるための読書に充てる時間も確保できます。まあ眠るのでも趣味の時間にするのでもいいですが、こういう自由時間のない生活では人間の心は荒んでいくので、授業もつまらなくなります。特に経験を重ねれば重ねるほど、「去年やったのと同じでいいや」となり、その時の生徒の個性に合わせて授業をカスタマイズすることができなくなっていきます。

 

根性論で「休まずにやれ!」「学びつづけろ!」と言うことは簡単です。また、全く休まずにものすごい仕事量をこなすことのできるスーパーマンも、たまに存在します(こういう人が、周りにも自分と同じ仕事量を求めたりすると地獄ですね)。ですが、全国に教員は何十万人といるわけで、その何十万人が全員、身体を壊さずにきちんと自分のスキルを磨き、家庭生活も充実させることができる制度が必要なのです。

 

最後に、私の苦手な言葉を紹介します。教育業界でたいへんありがたがられ、名言として語り継がれている言葉ですが、昨今の長時間労働や過労死問題を助長するものだと私は思っています。

それは、「教師は五者たれ」という言葉。教師は五つの側面を持っているべきだ、といいます。ネットで調べれば色々出てきますが、私が研修で聞いた記憶をもとに、あえて自分なりの解釈で解説してみます。

 

①学者。言うまでもなく、豊富な知識を身につけ、学問をきわめること。

②役者。生徒の前では明るく振る舞い、大人のお手本となること。

③易者。生徒の将来を見定め、正しく導くこと。

④医者。心身ともに、生徒の健康に目を配ること。

⑤達者。(「芸者」とも)自分自身が健康であること。

 

いい言葉ですね。あまりに、響きのいい、うつくしい言葉達です。

私がこの言葉に関して思っていることは、ただ一つです。

 

無理だよ!!!!

 

教師は超人ではありません。さっきも言いましたが、何でもかんでも全てこなせる完璧な人間しか教師になれないんなら、夢も希望もありません。教師は凡人でいいんです。凡人なりに、自分のできる範囲で、自分を磨いていける人間であればいい、と私は思っています。というか、そうでも思わないと、教師なんてやってられません。

学者、達者くらいは分かりますが、教師は医者じゃないし、占い師でもありません。本職のお医者さんやカウンセラーさんがいるんだから、教師は自分の本分、授業づくりに集中できれば充分なんじゃないかと思います。二兎を追うものは一兎をも得ずといいますが、五兎をいちどに追うようなことをすれば、どこかが必ず破綻します。人生の限られた時間の中で、できる範囲の努力をしていきたいものです。

 

なんだか規模の大きい話になってしまいましたが、まとめると「にっぽんの先生たちに時間をくれ」「先生たちは時間ができたら、無理のない範囲で自分のスキルを磨いてくれ」ということです。

先生たちに心の余裕ができることで、日本の子どもたちに自信と笑顔が増えていく。私は、そのように思っております。

 

なんだか、いつになくまじめなことを書いてしまいましたが、眠たくなってきたので今日はこのへんで。

またお会いしましょう。