かあさんは雨女

語学と育児、その他いろいろ。

なんにもできないアイツ。〜「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ〈第二話〉 その③〜

こんにちは。

 

我が家にはボタンを押すと童謡を歌ってくれるおもちゃがあるのですが、先日、1歳半になった娘・おタマがそのおもちゃを触ってるなーと思って見ていると、なんと一緒に歌っておりました。

 

「ちょーちょ、ちょーちょ、なの、なに、と、ま、えー(蝶々、蝶々、菜の葉に止まれ)」

 

と、なんともたどたどしいですが、きちんと歌詞に沿って発音ができています。

(もちろんメロディの高低をつけることはまだできないので、どちらかというとラップのように歌詞をつぶやいている感じですが…。)

ちょっと前まで「あうあう〜」しか言えなかった小さなおタマが、もう歌まで歌えるようになったんだなぁ…と感心しきりです。

最後の歌詞「遊べよ止まれ」が「あしょべよ、おたべ〜」になってしまっているのも、食いしんぼのおタマらしくてかわいいです(いつも私が「さあ、お食べ」と言って食事を勧めるからだな…)。

 

それにしても、「繰り返し聴いているうちに自分で発音できるようになる」という娘の成長を目の当たりにして、やはり言語習得のプロセスは大人も子どもも同じなのだなあ…と改めて感じています。母語以外の言語を学ぶときも、自然と口をついて出てくるまで、何度も何度も同じフレーズをしつこく耳に入れることが上達の近道。そう認識を新たにして、今日もリスニング学習に励む私です。

 

さて、今日は予告通り、久々のロシア語解説をお送りします。

ソ連時代の愛くるしい人形アニメチェブラーシカ」より、ロシア語台詞を逐語訳し解説するプロジェクト。 

短編2作目『チェブラーシカ(邦題:ピオネールにはいりたい)』、今回は第三弾です。

 

前回までの記事はこちら。

お誕生日には魔法を。〜「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ〈第二話〉 その①〜

空飛ぶチェブラーシカ。〜「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ〈第二話〉 その②〜

 

※当ブログで実施している「チェブラーシカ」プロジェクトの詳細については、こちらの記事をご覧ください。

「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ。〜プロローグ〜

 

また、短編一作目『ワニのゲーナ』の訳と解説(全6回)をご覧になりたい方は、この記事のカテゴリ「ロシア語学習」をクリックして各ページに飛んでくださいね。 

 

テキパキと行進する少年団・ピオネールに憧れて、仲間に入れてもらうよう頼んでみることにしたチェブラーシカとワニのゲーナ。

少年たちの返答や、いかに?

 

ゲーナ:Здравствуйте!(こんにちは!)

少年たち:Здравствуйте. (こんにちは。)

チェブ:Возьмите нас к себе. (僕らを、君たちの仲間に入れて。)

少年1:Вас? В отряд? Нет, нельзя.(君たちを? グループに? いいや、だめだよ。)

少年2:В живой уголок, мы бы вас взяли. (動物小屋になら、入れてあげるけど。)

 

возьмитеは、前回も出てきた不規則変化動詞взять(連れて行く)の複数命令形。

себеは「自身に」という意味のсебяの与格形。к+与格で「〜のところに」なので、「君たち自身のところに、僕たちを連れていって」で、「君たちの仲間に入れて」となります。

отрядは「仲間、グループ」という意味の名詞。ここではвに接続する対格形です。

нельзяはいちばん最初に習う基本表現、「だめだ」という意味。можно「〜してもよい」とセットで覚えたなあ。

その次の少年が言った"живой уголок"ですが、живойは「動物、生き物」で уголокは「コーナー、場所、片隅」なので「動物小屋」となるわけですね。

そして次の"мы бы вас взяли"について。бы+動詞過去形で、仮定的条件や願望・意志、提案、勧告などを表すことができます。ここでは「〜なら、入れてあげることもできるよ」と、冗談混じりの(現実味のない)提案を表しているので、この仮定法が使われているのです。

 

ピオネール少年団のペットとしてなら、側に置いてやってもいい…と、ずいぶん上から目線の少年たち(チェブラーシカ、前もショーウインドウの見せ物にされそうになってたし、こういう目に遭いがちだなあ…)。

チェブラーシカはめげずに食い下がります。

 

チェブ:Мы не хотим в живой уголок, мы хотим в пионеры.

(動物小屋に入りたいんじゃないよ、僕たち、ピオネールに入りたいの。)

少年1:А скворечники вы делать умеете?(巣箱を作ること、できる?)

ゲーナ:Не умеем.(できない。)

少年1:А костры когда-нибудь разводили?(過去に、たき火を起こしたことはある?)

チェブ:Не разводили мы.(僕たち、やったことない。)

少年2:Ну а маршировать вы умеете?(じゃ、行進はできる?)

ゲーナ:Не умеем.(できない。)

少年1:Вот видите - рано вам ещё. И, вообще, в пионеры принимают самых лучших.

(ほら、ごらん…君たちには、まだ早いよ。たいてい、ピオネールに入れてもらえるのは、最高のいい子たち(だけ)なんだ。)

チェブ:Но мы станем самыми лучшими.

(でも僕たち、最高のいい子になるよ。)

少年1:Вот когда станете - тогда и приходите.

(じゃあ(いい子に)なったとき、そのときにおいで。)

 

скворечникиはскворечник「巣箱」の複数形。

「〜することができる」という意味の動詞уметьの活用形、умеетеが二人称複数形で、умеемは一人称複数形です。

кострыというのは「たき火、キャンプファイヤー」という意味の名詞костёрの複数形。出没母音ёに注意ですね。

когда-нибудьは「いつか」という意味の副詞。ここでは「過去に、いつでもいいけど、そういった経験はある?」という意味で使われています。

разводилиは不完了体動詞разводитьの複数形過去。разводитьには「上げる、持ってくる、植える」など色々な意味があるようですが、ここでは「たき火を起こす」の意味となっています。

маршироватьは「行進する」という意味の不完了体動詞。英語のmarchと語源が同じなんですね。

 

大工仕事、たき火、行進…などなど、ピオネールでの基本的な活動ができるかどうかを次々と聞かれますが、どれも「できません…」の返事。だんだんションボリとしていく二人です。少年たちにも笑われてしまいました。

 

"вот видите"は、直訳すると「ほら、見えるでしょう」となりますが、ここでは少年が「ピオネールに入るなんてまだ無理だって事実が、わかったでしょ?」といった意味で言っているのですね。

вообщеは「大抵、概して」という意味の副詞。

"принимают самых лучших"は、動詞принимать(認める、受け入れる)の三人称複数形にсамый лучший(最高にいい子たち)の複数対格形を接続した形です。ちなみにсамый лучшийは活動体の名詞なので、対格形は生格形と同じ形になります。

「最高にいい子しかピオネールに入れないよ」という少年に、チェブは"мы станем самыми лучшими"と応じます。

станемは不規則変化動詞стать「〜になる」の一人称複数形。造格形を要求するので、самый лучшийの複数造格形が接続されています。

次の少年の台詞"Вот когда станете - тогда и приходите."ですが、ここでのвотは「疑問詞に添えて指示的な意味を強める」という用法。「(ピオネールに)なれたとき、そのときに、またおいで」と指示する意味を強調しているのですね。

 

さて、ピオネールの少年たちに軽くあしらわれてしまったチェブとゲーナですが、鳥の巣箱を作れるようになろうと奮闘します。

二人ででっかいノコギリやらカナヅチを使って(あ、危ない…)、なんとか巣箱に見えないこともない木工作品をこしらえます。でも、ゲーナは全く満足できていない様子。

 

ゲーナ:Так... ничего не получается.(ほら…なんにも、うまくできない。)

チェブ:Ты не горюй, Ген, отдохнём и ещё раз переделаем.

(元気を出して、ゲーナ、一休みしてもう一回やり直そうよ。)

 

"ничего не..."で「全く、何も〜ない」という打ち消しの表現(詳しくは後述します)。

получаетсяは「うまくいく、うまくやる」という意味の動詞получатьсяの三人称単数形。ここでは「僕は」でも「僕たちは」でもなく三人称が使われているのがポイントで、「こいつは、なんにもできない奴なんだよ」と自分のことを他人みたいに表現することで、自分を卑下する気持ちが表れているように思います。

горюйは「悲しむ」という意味の不規則変化動詞гореватьの単数命令形。"не горюй"で「落ち込まないで、元気出して」という意味の定型表現です。

отдохнёмは「休む」という意味の動詞отдохнутьの一人称複数形。

переделаемは「やり直す、変える」という意味の動詞переделатьの一人称単数形です。

 

うまくできなくて落ち込むゲーナですが、「ちょっと休んで、また挑戦しようよ!」とチェブは前向き。でも、そんな励ましの言葉もゲーナの耳には入っていないようで、すっかり自信をなくしています。

 

あきらめてガルモーシカを弾きはじめるゲーナ。

そんなとき、広場に小さな子どもたちが現れ、遊びはじめます。

可愛いちょうちょを追いかけて建物のハシゴに登り、誤ってまっさかさまに落ちてしまったところを、ゲーナが慌てて受け止めに行きました。

 

ゲーナ:Ты же мог разбиться!(ケガするところだった!)

 

могは動詞мочьの男性単数形過去。мочьは動詞の不定形に接続して「〜することができる」という意味に使われますが、英語のcanと同じく「〜するかもしれない」という意味でも使うことができます。ここでは過去形なので「(ケガ)するかもしれなかったよ」と言っているのですね。

разбитьсяは「壊れる、事故になる」といった意味の動詞です。

 

ゲーナ:Когда я был маленьким, я не лазил по таким лестницам.

(僕が小さかったときは、こんなハシゴに登ったりしなかったよ。)

チェブ:Хорошо, что мы успели.(良かった、間に合って。)

子ども:Я больше не буду.(もうしません。)

ゲーナ:Не будешь? Хорошо.(もうしない? よろしい。)

 

ゲーナのせりふ"Когда я был маленьким"について、「小さい」という意味の形容詞маленькийが造格形になっています。過去に「〜だった」ということを表現するときはなぜか造格の形になるという決まりがあるのですね。

лазилは「登る」という意味の動詞лазитьの男性形過去。по+与格を要求して「〜を登る」と表現することができるので、"такие лестницы"「こんなはしご(複数)」の与格形で"таким лестницам"と続いています。

успелиは完了体動詞のуспеть「間に合う、うまくいく」の複数形過去。チェブは「僕たち、間に合って(子どもたちを助けられて)良かったね」と言っています。

子どもが言った"Я больше не буду."は、前回いじわる婆さんのシェパクリャクも言っていましたね。「もうしません」という意味の決まり文句です。

 

子ども達を助けて一安心、と思う間もなく、こんどは同じ子が、マンホールを開けてその中に飛び込んでしまいます。子どもってすぐこういうことするよねぇ(実感をこめて…)。

またもや、危ないところでゲーナが子どもを救い出します。

 

ゲーナ:Ну, зачем, зачем ты туда полез? Тебе что делать нечего?

(うーん、どうして、なんでそんなとこに入っちゃったの? 君には(他に)することないの?)

子ども:Нечего.(ないの。)

子ども達:Совсем нечего.(全然ない。)

チェブ:Им играть негде. Вот они и лезут, куда не нужно.

(どこにも遊ぶ場所がないんだ。それで、入るべきじゃないところに入っちゃうんだ。)

ゲーナ:Ладно, мы им поможем. Что у вас в этом домике?

(わかった、僕らが彼らを助けよう。この小屋の中には何がある?)

子ども:Ничего.(なんにも。)

 

полезは「入っていく、落ちる」という意味の動詞полезтьの男性形過去。不規則変化です。

次のゲーナのせりふ"Тебе что делать нечего?"ですが、нечегоは「何も〜ない」という否定の意味をもつ代名詞。この場合、動作の主体は与格で表すので、тыの与格形тебеを使って「君には何もすることがないのか?」と聞いているわけです。

 

「全然、することがないんだ」と声をそろえる子どもたちに驚いて、辺りを見回すチェブとゲーナ。

確かに、広場には遊具といえるものが一つもありません。マンホールやハシゴで遊びたくなっちゃうのも仕方ないのかも…。

 

次のチェブのせりふ"Им играть негде."も、先ほどのнечегоの場所バージョン(どこにも〜ない)негдеが使われています。「どこにも遊ぶ場所がない」ということで、やはり動作の主体には与格形имが使われています。

"куда не нужно"は、場所を表す関係代名詞кудаが使われて「〜すべきではないところに」という意味。「遊ぶべきじゃないところ(マンホール)で遊ぶしかない」ということですね。

ゲーナは"мы им поможем"と請け負います。поможемはпомочь(助ける)の一人称複数形なので、「僕とチェブで、彼らを助けてあげよう」ということ。

次の"Что у вас в..."は「君たちは、…の中に何を持っているの?」ということで、広場にある小屋の中に何があるのかを聞いています(子どもたちの所有物というわけではなさそうですが…)。

子どもたちは"Ничего."「何もないよ」と答えます。このничегоは先ほどのнечегоと形も意味もそっくりですが、代名詞ничтоが生格になった形。発音は、нéчего / ничегóとアクセントが異なります。

ちなみに、нечегоはそれ自体で「何も〜ない」という打ち消しの意味を表しますが、ничегоは"ничего не ..."と否定語を重ねて使わないといけません。先ほど、ゲーナが「なんにもうまくできない」"ничего не получается"と言ったせりふもこの形ですね。

 

さて、広場にある怪しげな小屋を開けてみるチェブとゲーナ。中には変電施設のような、明らかに触っちゃいけない設備が据えられていますが…?

 

ゲーナ:Всё это мы уберём, здесь поставим скамейку, а вот здесь сделаем окно.

(これを全部きれいにしよう、ここにベンチを置いて、それからほら、ここに窓を作ろう。)

チェブ:И получится домик, где они будут играть.(それで、彼らがここで遊ぶ家ができるね。)

子ども達:Ура!(やったー!)

 

ま、まじか…! という感じですが、この中を遊び場にしようと考えちゃったゲーナ。

уберёмは「きれいにする、取り除く」という意味の動詞убратьの一人称複数形。

поставимは「置く」という意味の動詞поставитьの一人称単数形で、скамейка(ベンチ)の対格形скамейкуが続いています。

ベンチを置いて、更に窓まで作っちゃおう…と夢を膨らませるゲーナ。

チェブも「みんなで遊べる家ができるね!」と同調します。получитсяというのは、先ほど出てきた「うまくいく」получатьсяの完了体ですね。

 

Ура!と喜ぶ子どもたち。

そしてゲーナは変電設備(?)をいじくり始めますが…、てきめんに大爆発!

そりゃそうだよ〜。 みんな無事なのが奇跡のようです。

チェブが小屋の扉を閉めると、そこには"ОПАСНО!"(危険!)の文字。いやいや、最初に気づこうよ〜。

 

ゲーナ:Нет, здесь мы ничего не будем делать.

(だめだ、ここでは何も作れないよ。)

 

この"ничего не будем делать."という表現も、先ほど出てきた"ничего не..."の形。будем делатьと未来形を使って「何も作ることができないだろう」と言っています。

 

さて、子どもの遊び場を作ることに失敗したゲーナ達ですが、どうやら、まだあきらめた訳ではないようです。

ゲーナとチェブ、果たしてピオネール級の「いい子」になれるのか!?

二人の更なる挑戦をお楽しみに!

 

しかし、こういう「子どもの遊び場がない」みたいな悩みって、昔も今も同じなのかなあ。道路で遊んだりすると危ないんだけど、他に遊ぶ場所がなかったりするんですよね。

きっとソ連時代にも共感を呼ぶような社会問題だったのでしょうね。

 

さて、次回はまた「ミッフィー」の英語ディクテーションに戻りつつ、このロシア語解説もたいへん楽しいので、なるべく間をあけずに少しずつ進んでいきたいと思っております。

 

では、また近いうちにお会いしましょう。