「洋画の邦題ダサい問題」と、オタクなりの作品考察。〜「マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー」を観て〜
こんにちは。
今回は、珍しく映画のレビューなどしてみたいと思います。
…と言っても、いち語学オタク/ミュージカルオタクとして「マンマ・ミーア!」の続編を観て感じたことを、オタクなりにつらつらと書くだけです。
あと、タイトルにもある通り、日本で公開される洋画に対して日々思っていることなども書いていきます。
※いちおうネタバレには配慮して書いています。ネタバレを含む箇所にはきちんと但し書きをしますので、未視聴の方も安心してお読みくださいませ。
というわけで、観た作品は「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」です。
言わずと知れた伝説のミュージカル、映画化作品の続編。
ブロードウェイミュージカル大好きな私、もちろんこの前作もDVDを持っていてサントラ(ブロードウェイ版/映画版両方持ってます)を聴き込んだりしているのですが、続編のこの邦題を知ったときは「なんでこんなダサいサブタイトル…?」と不思議に思いました。
で、調べてみたところ、原題は"Mamma Mia! Here We Go Again"というのですね。
"again"がついています。
これを見て、ようやく腑に落ちました。
映画のタイトルチューンになっているABBAの名曲"Mamma Mia"のサビの歌詞、"Mamma mia, here I go again"からきていたのですね。
この歌詞と、続編であるということを掛詞にしての"Here I (we) go again"(もう一回いくよ! 的な意味)なわけなのです。
また映画の中では、主人公ソフィが妊娠したことと、その昔ソフィの母親のドナがソフィを妊娠・出産するまでの経緯が2つの時間軸で描かれていますので、そういった意味でも"again"の要素があるわけなんですね。
…って、"again"を省略しちゃったら、サブタイトルの意味なくない!?!?
まあ「ヒア・ウィー・ゴー・アゲイン」にすると、くどくなっちゃうのかな。
そもそも、洋画の邦題って、どうしてカタカナ英語ばっかりなのでしょうね。新作映画の邦題を見かけるたびに疑問に思うんですが、「アントマン&ワスプ」とか、「シェイプ・オブ・ウォーター」とか、カタカナにするととたんにダサくなっちゃうような気がするのです。
「ドント・ブリーズ」なんて、ホラー映画なのに「ドンと来い!」みたいな響きになっちゃってちょっとガッカリしてしまうのは私だけ?
「アルファベットにしたら、読めないだろう!」ってことかも知れないけど、アルファベットが読めないような人はそもそも洋画観ないと思うし…。
だいたいみんな、お店の名前とかブランド名とか、アルファベットで表記してあるの、きちんと読めるでしょう?
"HERMES"と書いてあるバッグを見たら「あっ、エルメスだ!」って思うし、"STARBUCKS"って書いてある看板を見かけたら「ちょっとスタバで休まない?」って言うでしょ?
読めてるでしょ?
なんで洋画のタイトルだけ、
「英語の原題をカタカナにしただけ」のやつばっかりなんだー!!
…と、常日頃から悶々と考えている私なのでした。
でも、これ(洋画の邦題カタカナ英語問題)について論じている人を見たことがないのですが、気にしているのは私だけなんだろうか…?
一昔前までは、"Gone With the Wind"が「風と共に去りぬ」だったり、
"Shawshank Redemption"が「ショーシャンクの空に」だったり、
"Sister Act"が「天使にラブソングを…」だったりと、
しゃれた日本語の邦題が多かった気がするのですが。
なんかガイドラインが変わったのかな?
あ、でもディズニー映画は結構がんばって邦題考えた感のある作品が多いですね。特にピクサー作品。
「カールじいさんの空飛ぶ家」は、なんと原題が"Up"だったりします。アップ。それだけ。
「塔の上のラプンツェル」は"Tangled"だし、「アナと雪の女王」は"Frozen"。子どももたくさん観に来るものだから、タイトルからバチっと内容が伝わってくるよう工夫しなきゃならないんでしょうね。子どもは吹替で観るだろうから、英語の響きとかあんまり関係ないしね。
と、タイトルのことでぐだぐだ申しておりますが、「マンマミーア」続編を観て感じたことも少し、書いていきます。
※ここからは作品の内容(ネタバレ)を含みます。注意!!
といっても私は映画通でもなんでもないし、1回観ただけで内容を鮮明に覚えているわけでもなく、わかったような口をきくのもなんか恥ずかしいので、本当に思ったことをただ羅列していきます。
- 全体的に、しんみりした曲が多かった。泣ける要素という意味では良かったが、もう少しみんなでワッと盛り上がるシーンが欲しかったなあ。
- 個人的によかった楽曲は、回想シーンでハリーが歌う「恋のウォータールー」(ギークっぽいキャラからのギャップが素敵)と、ソフィが父親たちと再会するときの「ダンシング・クイーン」の盛り上がり。心躍りました。
- 冒頭、ソフィーが皆に招待状を出すところから始まる描写が前作のオマージュになっていて良かった(前作は結婚式の招待状、今作はホテルのリニューアルパーティの招待状)。
- 終盤、ソフィの子どもの洗礼式を教会で行うシーンも、前作の結婚式の描写と対になっていた。こういうところは丁寧で良かったなあ。
- ハリーが仕事で嫌々会議に参加している舞台が東京で、まじめっぽい日本人が会議に無駄に時間をかけている描写が素晴らしかった。世界よ、日本はそんな国です。
- 前作から映画の設定上はたぶん5年くらい経っているけど、実際には10年(前作は2008年製作)経っているので、登場人物はそれなりに歳をとっていた。ドミニク・クーパーのおっさんっぷりがヤバかった。前作ではあんなにピチピチしてたのに。
- アマンダ・サイフリッドは相変わらず可愛かった。そして歌がうまい。
- メリル・ストリープの母親役(=アマンダ・サイフリッドの祖母役)がシェールなのは無理がある。絶対に。
- 前作では、ソフィの父親が誰なのか? という謎に挑むスリルがあったり、3人の父親候補たちが「自分がソフィの父親だ!」と信じきって(他にも父親候補がいることをまだ知らず)とんちんかんな会話劇が繰り広げられたりするのが面白かったが、今作でそういった脚本上の技巧的な面白さはあまり見られなかった。
映画の感想としては、こんなところでしょうか。
ただ、やっぱりミュージカルオタクとしては、前作の設定がきちんと活かされているのかが気になってしまいます。基本的にこの「ヒア・ウィー・ゴー」は前作を知らない人も楽しめる作りになってはいましたが、残念だったのは、前作の内容がきちんと引き継がれていない点が多く、ストーリー上の矛盾が多く生じていたこと。
以下、前作の設定との矛盾を挙げてみます。
- 前作で登場したドナの日記帳と今作の回想シーンで、ドナが3人の男(ソフィの父親候補)に出会う順番が違っている(前作ではハリーは最後に出てきていたのに、今作ではいちばん最初)。
- ソフィの父親候補3人の若い頃、前作ではかなり古めかしいいでたち(70年代らしく、ヒッピーだったり、ヘビメタだったり)の写真が残っていたのに、今作ではふつうに爽やかファッションの好青年たちだった。ここは前作を踏襲してくれたら面白かったんだけどなあ。
- ハリーは前作だとパリに留学中の設定だったけど、今作では旅行中になっていた。旅の中の一夜限りの恋になってしまっていたので、ドナと一緒に買ったはずのギター(二人のイニシャル付き)も登場せず。
- ハリーがゲイであるという設定はどこへ? 前作で彼氏ができてあんなに幸せそうだったのに。
- ドナが島で経営を始めたホテルは、もともとビルの大叔母がドナに遺産をくれたから買えたという設定で、前作ではビルがソフィとの繋がりに気付く重要なファクターなのに、この設定が消滅していた。ドナは本当に無一文で、カフェのオーナーのおばちゃんの善意で廃屋を譲ってもらうかたちになっていた。
(ちなみにそのカフェのおばちゃん、ドナがソフィを出産するときに産婆としても活躍していてすごかった。便利な存在。) - ソフィが「絵がめっちゃうまい」という設定が消滅していた。それで絵の道を目指すのか、母のホテル経営を継ぐのかという迷いを残したまま終わっていたのに、そこには全く触れず。
こんなところでしょうか。ていねいに検証すればもっと出てくるかもしれませんが、いちど観て気付いたところだけ挙げてみました。
オタクなので、どうしても重箱の隅をつっつくようなツッコミが多くなっちゃいますね。まあエンタメとして楽しめる作品にはなっていたので、こういう指摘をするのも野暮というものかもしれませんが、全世界でトップレベルの名作ミュージカルの続編を作るというのだから、もう少し前作の設定に気を遣ってほしかったなあ…と思わなくもないです。
さて、ここまでつらつらと書いてきました。
ふだん語学のことを書き散らしているブログなので、最後に、英語にからめて気付いたことを少し。
上の感想にも多く名前が登場した「ハリー」という人物。「マンマ・ミーア」の中でも私のいちばんのお気に入りキャラでして、演じているのも私がずっと大ファンをしているコリン・ファースです。
ソフィの父親候補の一人で、まじめ一辺倒の仕事人間ですが、作中では「本当は冒険に憧れている」ということをずっと言っています。そのためか、"spontanious"(自発的な、本能的な、無計画な)ということばに異常なこだわりを見せるのです。
前作でビルに初めて会ったときには、
"I'll never be the spontaneous adventurer."(本能的な冒険なんて僕には無理だ)
などと言っていたり、過去にただ一度ドナと情熱的な一夜を過ごしたあと、ドナを追いかけてギリシャまで来てしまったことも
"I hopped on a train and followed her to Greece, quite spontaniously."
(電車に飛び乗って、彼女を追ってギリシャに行ったんだ、きわめて衝動的にね。)
と回想していたりします。
また、自分がソフィの父親かもしれない…と困惑するビルに
"Bill, where's your spontaniety?"
(ビル、君の衝動性はどこにいったんだい?→頑張れよ、君らしく思い切っていけよ)
とけしかけるシーンも(ここでは"spontaneity"と名詞形で「自発性、衝動性」という意味になっています)。初めての会話との対比が面白いですね。
きちんと数えたことはないですが、ハリーは作中でこの"spontanious(ly)"や"spontaneity"ということばを何度も何度も繰り返して使っていて、それがなんだか可笑しかったのを覚えています。
で、今作でも若かりし頃のハリーが、きちんとこの"spontanious"を連呼して「真面目な自分から脱したいんだ!!」的なことをたくさん言っていたので、思わずニヤリとしてしまったわけなのです。
日本語字幕つきで1回観ただけなので、上記のように詳しく検証することはできませんが、何回この単語を言っているのか数えてみると面白いかもしれませんね。
ここまで「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」にからめて色々と書いてきました。
個人的にこだわりの強い作品の続編なので、かなり細かいところまでツッコミを入れてしまいましたね。色々書きましたが、音楽や情景がとても美しく、観ていて楽しめる作品でしたよ。
映画のレビューなどという、ほとんどやったことのないテーマに挑戦してみましたが、機会があればまたやりたいなあ。
では、次回は毎週恒例企画「ミッフィーのぼうけん」英語ディクテーションをお送りいたします。
またお会いしましょう〜。
↓当ブログはランキングサイトに参加しています。よろしければクリックをお願いいたします。