かあさんは雨女

語学と育児、その他いろいろ。

「ミッフィーのぼうけん」で英語リスニング&ディクテーション! 9月23日放送「ミッフィーはなにになるの?」

こんにちは。マミです。

わけあって、ちょっとヘトヘトです。

 

今日は、いつものように英語アニメ「ミッフィーのぼうけん」のディクテーション&英語解説をお送りするわけなのですが…。

今回のエピソード、当ディクテーション企画 史上最高難度を記録してしまいました!

 

※この「ディクテーション」シリーズの詳細や注意事項については、下記リンクをご覧ください。

英語リスニング・ディクテーションチャレンジ!〜「ミッフィーのぼうけん」より〜

 

今回はもう、本当に最高に難しかったんですよ。最後までわからなかった箇所がたくさんあり、フレーズがまるまる聴き取れなかった所まであって、ちょっと呆然としております。

 

理由は簡単。

今回は全編、ミュージカル仕立てのエピソードだったのです。

ミッフィーたち、最初から最後まで歌を歌っています。つまり、聴き取ったのはぜんぶ歌詞です。

具体的には、学校の発表会のような場でミッフィーたちが歌を披露している、という設定のようです。

(なんの説明もなしに歌が始まるので、詳しい事情は推し量るしかありませんが…。)

 

ミッフィー」は元々、物語の中でミュージカル的に歌が挿入されることの多いアニメなのですが、私はそのたびに「歌って聴き取り辛いんだよね…」と愚痴っております。

そんな私が「歌って聴き取り辛い」と思う理由を今回、語学オタクなりに分析して箇条書きにしてみました。

ディクテーションの前置きが少し長くなってしまいますが、ご容赦ください。

 

※御託はいいから早くディクテーションと解説を! という方は、下記サブタイトルをクリックすればジャンプできますよ。

 

 

◎ココが聴き取り辛いよ! 英語の歌◎

①文の強勢が読み取れない。

英語は強勢(ストレス)が命の言語です。強勢とは、「強く、大きく発音する」ということ。

文の中で「ココを一番に聞いてほしい!」と話者が思っているところを強く大きく発音する傾向があるので、聴く人はその話の要点をつかみやすいのですね。

たとえば"I love you."というシンプルな文一つとっても、単に「愛している」ということを伝えたいのなら"love"に強勢が置かれますし、はたまた「他の誰でもないあなたを愛している」と伝えたいならば"you"に強勢が置かれることになります。

 

ところが歌だと、文の強勢よりもメロディの方が優先されるので、ニュアンスがつかみづらくなってしまうのです。

 

②日本語吹き替えが頼りにならない。

これはどういうことか? 順を追って説明いたします。

私は普段、英語が聴き取れないときは日本語音声に切り替えて意味を確認するのですが、歌だとそれがうまくいかないことが多いのです。

何故かというと、英語と日本語の音声学的な構造が大きく異なるために、英語詞を日本語詞に訳す際、歌に乗せられる情報量が極端に少なくなってしまうからです。

 

例をひいて説明しましょう。

かの有名なミュージカル映画"Sound of Music"の中で、主人公・マリアが子どもたちに歌の歌い方を教えるときに こんなことを言っています。

 

"One word for every note."(一つの音符に、一つの言葉を乗せるのよ。)

 

日本人の感覚としては「?」ですよね。「一つの音符に乗せるのは、一文字じゃないの?」と。

ところが英語では、一つの音符ごとに一つの音節を乗せるのが普通です。

そして、多くの英単語が一つの音節だけでできているのです。必然的に、一つの音符に一つの単語がのっかることになります。

(英単語の中にも二音節以上の長い単語はもちろんたくさんありますが、日常会話で使われる語ならば一音節の単語が圧倒的多数です。)

 

具体的にいうと、上記の引用のあとにマリアが歌う「ドレミの歌」の旋律は

「ソ、ド、ラ、ファ、ミ、ド、レ」

の七音で、そこに乗っかる歌詞は

"When you know the notes to sing"

の七語です。きっちり一音に一語ずつですね。

 

ところで、上にも書いたとおり日本語は英語とは構造が異なりまして、歌の歌詞では基本的に「一音に一文字」がふられます。

上の「ドレミの歌」の歌詞を訳すと「あなたが歌の歌い方を知るとき」となりますが、これを「ソドラファミドレ」の音に乗せることはほとんど不可能ですよね。なんとか歌おうとしても「あなたがうたの」の七文字で終わってしまいます。

ということで、日本語と英語では、歌に乗せることのできる情報量がまったく異なるということがお分かりいただけたでしょうか。

 

ブロードウェイミュージカル好きの私が、普段から「ミュージカルを楽しむなら英語のままで!」ということにこだわっているのは、こういう理由もあるのです。

もちろん日本語に訳す作業は大変なものですし、名訳といわれる翻訳作品もたくさんあります。でも、基本的に歌詞が翻訳された歌は、もはや別の作品として味わった方が良いと、私は常々考えております。(※あくまで個人の意見です!)

 

今回の「ミッフィー」でも、なんとか英語詞と同じ意味を日本語でも伝えようと頑張って翻訳をされたとは思うのですが、日本語詞で伝えられる情報量には限りがあり、英語詞で言っている内容をほとんど伝えきれていない箇所が多くありました(ディクテーション解説の中でも、いくつかツッコミを入れました)。

そのため、いつもやっている「困ったら日本語で聴く」という必殺技がほぼ使えなかった、ということなのです。

 

③身振りや受け手の反応から話の内容を推測することができない。

言語コミュニケーションでは、話し手が言った内容だけでなく、身振り手振りも重要な手がかりになります。また、受け手のリアクションも会話の流れをとらえる重要なヒントですよね。

そのどちらの要素も、歌を歌い合ってやりとりしているときは非常に薄くなってしまいます。ミュージカルとしての振り付けやメロディの抑揚が優先されてしまうのですね。

 

④常に伴奏が入って言葉を拾いづらい。

ミッフィーたちが歌っているバックには常にノリノリの音楽が流れているので、歌詞を拾いづらいと感じる箇所がいくつかありました。

 

 

というわけで、言い訳をダラダラと述べておりますが、今回のエピソードの英語が聴き取りづらかった理由はこんなかんじでした。

とはいっても、何度も何度も繰り返し聴いているうちに聴き取れたところもたくさんありますので、最終的にはなんとか見られる形になったと思います。(頑張った、私!!)

 

では、いよいよ今回のエピソードのディクテーション&解説をお送りいたします。

 

ミッフィーはなにになるの?」

今回の舞台は、学校の講堂のような場所。

前方ステージには幕が張られ、客席にはミッフィーたちの家族や街の大人たちが座ってステージを見守ります。

 

Teacher: Take it away, aunt Alice!(始めてください、アリスおばさん!)

 

先生の合図で、ミッフィーの伯母のアリスがピアノを奏でます。

"take it away"は「では始めます」というときの決まり文句で、本来はテレビやラジオなどの放送のときに使うフレーズです。

 

幕が開き、ミッフィーメラニー、グランティ、ダンの4人が登場しました。

4人は音楽に合わせて歌いだします。

 

*All: What will I be when I grow up?(大きくなったら、私は何になるだろう?)

What sort of job will I do?(どんな仕事をするんだろう?)

So many things that I could be(なれるものが、とてもたくさん)

So many things I could choose*(選べるものが、とてもたくさん)

 

どうやら、子どもたちの夢や未来についての発表をするようです。

ココが今回の歌のサビに当たる部分で、以降何度も繰り返し出てきます(繰り返しの部分には「*repeat」と書くことにします)。

"could"という語が2回登場しますね。この"could"は「〜かもしれない」と未来に対する推量を表す表現。

ここから、子どもたちが"I could be ..."といいながら自分の夢を歌っていきます。厳密に訳すと「私は〜になれるかもしれない」ですが、いちいちこう書いていては冗長になってしまうので、「〜になる」と言い切る形で訳していきますね。

 

Miffy: I could be a doctor making everyone well(医者になって、みんなを元気にするわ)

Dan: I could be a fireman and ring a fire bell(消防士になって、消防ベルを鳴らすんだ)

Melanie: I could be a singer writing songs every day(歌手になって毎日歌を書くわ)

Grunty: I could be a chef with my very own cafe(シェフになって、自分のカフェをもつの)

 

*repeat

 

"fireman"は「消防士」で、"fire bell"は「出火警報、半鐘」ですね。

それぞれが自分の夢を語っています。でも、夢は一人に一つだけではないのです。歌はまだまだ続きますよ。

 

Grunty: I could be a farmer with animals and crops(農家になって、動物や作物を育てるわ)

Sending milk and vegetables to all the local shops(ミルクや野菜を、地元のお店みんなに送るの)

 

"crop"は「作物、収穫物」。農家とは、食いしんぼのグランティにぴったりの仕事ですね。

観客の中には、ミッフィーたちがいつもお世話になっている牧場のおじさんや、商店をいとなむバーバラがいて、嬉しそうに歌に耳を傾けています。

 

Dan: I could be a pilot flying up in the sky(空を飛ぶパイロットにだってなれる)

Everyone will wave for me in time(?) I'm going by(僕が通り過ぎるとき、みんなが手を振るよ)

Uncle Pilot: Ha-ha-ha.(ハハハ。)

 

ダンはパイロットにも憧れています。パイロットのおじさんも嬉しそう。

 

Miffy: I could be an artist makings works and thoughts(?)(芸術家になって、作品や考えを表現するの)

Pictures, stories, music, whatever's in my heart(絵、物語、音楽、心に浮かぶもの何でも)

But whatever I choose to be, I'll still be me(でも、何を選んだとしても、私は私のままよ!)

 

芸術家にもなってみたいミッフィー

ここでの"work"は「作品」の意味ですね。

そのあとの語は正しいか自信がありませんが、"thoughts"と言っているように聞こえました。これは"think"の名詞形(複数)で「考えること、意見」というような意味です。

ミッフィーは、絵や歌だけでなく、自分の考えを文章で表現する作家のことも含めて"artist"と言っています。総合的な芸術家、というわけですね。

 

ちなみに、この部分の日本語吹き替えは以下のようになっていました。

 

「絵描きさんにも憧れるわ

 この絵筆で何を描こう

 いつかどんな夢も叶うはず」

 

やはり英語と日本語では表現できる語数が異なるため、意味がたいへん狭くなってしまっています。英語と違って、日本語では絵のことしか語れていませんね。

そして私がいちばん気になったのは、最後の一文です。

"But whatever I choose to be, I'll still be me!"

これはたいへん力強いメッセージで、「私の未来は無限の可能性を秘めているけれど、たとえ何になったとしても、私の個性が失われることは決して無い」という主張だと私は解釈しました。誰に強制される訳でもなく、私は「私」として自信をもって仕事を選びとっていく。だから、職業というカテゴリに縛られることなく、何者になっても「私」として力強く生きていきたいんだ、というメッセージです。(深読みしすぎでしょうか…?)

 

ところがこの詞、日本語吹き替えでは「いつかどんな夢も叶うはず」となっています。

なんか、とたんに薄っぺらくなってしまったような…。自分の個性や意思の力を大切にしたい、という英語詞のエッセンスが失われ、なんだか受け身のような感じすら出てしまっているように思うのは私だけでしょうか。

かといって、限られた文字数の中で英語詞のニュアンスを上手く表現できる日本語は私にも思いつかないので、こうするしかなかったのでしょうね。

 

ちなみに、この"Whatever I choose to be, I'll still be me!"という文はこの後も何度も繰り返し出てくるので、この歌の要と言ってもいいかもしれません。

歌は続きます。

 

*repeat

 

All: So many things to be, it seems(たくさんのものになれる、きっと)

The only limits are our dreams(夢は見れば見るほど広がっていく)

 

"the only limits are ..."というのは直訳すると「唯一の限界は…だ」となります。

それが"our dream"に続いているので「(未来への可能性は)私たちが見る夢だけが限界だ」ということ。転じて、「私たちが夢を見れば見るほど、可能性の限界は広がっていく」となります。少しややこしい文ですが、つまり「夢があれば限界などない」ということを言いたいわけなのです。

 

さて、舞台は子どもたちの想像の世界へ。

レーシングカーのサーキットの中で、メラニーが風を切ってカートを走らせています。

 

Melanie: I could be a racing driver speeding around the track
レーシングドライバーになって、トラックを駆け抜けるわ)

I'll catch you up and overtake, the leader of the pack(?)
(あなたに追いついて追い越して、トップはいただき)

But whatever I choose to be, I'll still be me!(でも、何を選んだとしても、私は私のまま!)

 

メラニーかっこいい!

"catch up"は「追いつく」、"overtake"は「追い越す」という意味です。

"the leader of the pack"は聴き取りに少し自信がありませんが、"pack"とい名詞に「一団、グループ」という意味があるので、レース集団の中でトップを走る者、という意味でこのフレーズを採用しました。ただ、"the leader of the pack"は本来「ギャング一味のボス」みたいな意味で使われるようですが…。

 

メラニーが優勝カップを手にしたところで舞台はまた移り変わり、こんどはお屋敷の中。

探偵の格好をしたミッフィーが、暗闇の中で手がかりを探しています。

 

Miffy: If I were a detective, I'd go solving mystery(もし私が探偵なら、謎を解決しに行くわ)

Looking everywhere for clues and catching crooks, night thieves(?)
(手がかりをあちこち探して、泥棒を捕まえるの)

But whatever I choose to be, I'll still be me!(でも、何を選んだとしても、私は私のまま!)

 

"clue"は「手がかり、ヒント、糸口」。

"crook"は「曲がった物」が本来の意味ですが、「悪党、犯罪者」の意味でも使われる語です。"night thief(複数形はthieves)"は「夜盗」ですね。

語のつながりが少し不自然なようにも思えますが("crooks and night thieves"でないとおかしいよね)、このように聞こえました。

 

次の舞台はサッカースタジアム。

歓声の中、ダンが華麗なドリブルを決めています。

 

Dan: I could be a footballer playing with my team
(僕はサッカー選手になって、チームと共に戦うんだ)

To score a goal and win the match, so that would be my dream
(ゴールを決めて試合に勝つのが僕の夢さ)

But whatever I choose to be, I'll still be me!(でも、何を選んだとしても、僕は僕だよ!)

 

サッカー選手のことは"soccer player"だけでなく"footballer"ともいうのですね。

"soccer"はアメリカ英語で、イギリスでは"football"が多く使われるためなのでしょう。

 

そして、ついに舞台は宇宙へ。

ロケットに乗って宇宙をゆくのは、グランティです。

 

Grunty: I could be an astronaut, I'll fly up into space(宇宙飛行士になって宇宙へ飛び立つの)

I'll travel far and land the stars, it's such a (??)(遠くまで旅をして星に着陸、どきどきするわ)

All: No matter what the future holds(どんな未来が待っていたとしても)

Grunty: We take a leap, be brave, be bold... Here goes!
(飛び込んでいくわ、勇気を出して、大胆に…さあ!)

 

"land"は、ここでは「上陸する」という意味の動詞。グランティは、宇宙の星に降り立って調査をしたいのですね。

そのあとの部分の聴き取りはさっぱり、お手上げでした。吹き替えで「胸がドキドキ」みたいなことを言っていたので、訳はそれをもとにしています。

 

そのあとみんなが合唱する部分で、"no matter what+A(主語)+B(動詞)"の構文が使われています。これは、「どんなものをAがBしようとも」というような意味で、ここでは「未来がどんなものを持っていても」=「どんな未来が待っていても」となります。

"take a leap"は「飛び込む」という意味。ここでは「未来へ飛び込んでいく」というニュアンスですね。

その後に出てくる"brave"と"bold"はどちらも「勇敢な」という意味ですが、辞書によると「"bold"はより向こう見ずな勇敢さを強調する語」で、人目をはばからず大胆に飛び込んでいくようなニュアンスを含むそうです。

 

さあ、勇気を出して! とグランティはロケットから飛び降りますが、そこで尻餅をついて転んでしまいます。夢から醒めたように、舞台は学校の講堂へ。

観客達は息を呑みます。

 

Miffy: Sometimes things can go wrong(時にはうまくいかないこともあるけど)

But we don't have to stop a song(歌を止めなくたっていい)

 

そこへミッフィーがグランティに駆け寄り、助け起こします。

 

Miffy: Everybody!(みんな一緒に!)

 

いちど静まり返ってしまった講堂が、ミッフィーのかけ声で一つになりました。

観客達も一緒になって大合唱が始まります。

 

Audience: *repeat

 

Miffy: It's fun to play, but don't forget(演じるのも楽しいけれど、忘れないで)

We don't have to decide just yet(まだまだ決めなくたっていいから)

 

この"play"のニュアンス、ここでは「こうやって将来のことを考えて発表すること」を指すと解釈しましたが、どうなんだろう…。ひょっとしたら「(子どもらしく)遊ぶ」という意味での"play"なのかもしれません。

何にしても、「まだまだ子ども時代は長いから、ゆっくり将来のことを決めていこう」と言っているのですね。

そして最後にまた、大切なこのフレーズ。

 

All: And whatever I choose to be, I'll still be me!
(だって、何になることを選んだって、私は私のままだもの!)

 

幕が降り、大人たちの拍手と歓声が鳴り響いて、おしまい。

子どもが未来に希望を膨らませている姿って、本当に勇気づけられるものですね。子どもに限らず、いくつになっても夢を持っていたいものです。

 

今回は、ものすごく自分を褒めてあげたいってくらいに頑張りました。今まででいちばん時間がかかったかもしれません。

さて、「ミッフィー」の放送、次週はお休みです。

次回はスペイン語作文の第二弾をやろうと思っています。

 

では、また近いうちにお会いしましょう〜。

 

 

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