かあさんは雨女

語学と育児、その他いろいろ。

骨髄バンクドナーとして、骨髄提供をした話。

こんにちは。語学大好きかあさん、マミです。

今回は予告通り、いつもの語学関連の話題はお休みにして、昨年起こったある「できごと」について振り返ってみたいと思います。

 

その「できごと」とは、「骨髄提供」。

白血病などの病気により健康な骨髄を必要としている患者さんに提供するため、ドナーとして骨髄液を取り出す手術を受けたのです。

 

先週、競泳の池江璃花子選手が白血病であることを公表し、大きな話題となりました。このニュースに伴って「自分にもできることを…」と、骨髄バンクへのドナー登録に関心を寄せる人が増えているということを聞き、骨髄採取をしたばかりの身としては、いてもたってもいられない気持ちになりました。

 

私は「骨髄提供をして良かった」と心から思っています。

ただ、骨髄採取手術ではもちろん身体へのリスクもありますし、また手術前後の数日だけでなく、面談や検査で病院へ何度も足を運ぶ必要があり、ドナーには負担となります(金銭的な負担はほとんどありませんが)。家族の同意も不可欠です。

「ドナー登録してみたいけど、骨髄提供ってどんなものなのかしら…」と漠然とした不安を感じている人がもしいらっしゃれば、この記事を読むことで、多少なりとも私が感じたリスクや負担感、そして骨髄移植コーディネートの様子などを読み取っていただけるのではないか…と考え、記事にすることにいたしました。

 

 また、私には1歳(当時)の娘がいます。私たち夫婦はともに実家が遠方にあるため、ふだんは私と夫だけで育児をしているのですが、骨髄採取の手続きでは、上にも書いたとおり検査や説明を受けるために何度も病院へ出向く必要があります。

「育児と両立しながら、本当にこの長いプロセスをたどって手術までこぎ着けられるのか…?」という不安もありましたが、コーディネーターさんや病院、そしてもちろん夫の協力もあり、無事に最後まで手術や手続きを終えることができました。

「小さな子どもがいてもドナーをすることは可能か」と思い悩んでいる方がおられましたら、私がたどったプロセスを参考にしていただけると幸いです。

 

なお、骨髄バンクドナーには手術などの手続きに関する守秘義務が課せられています。詳しくは後述しますが、その範囲にそって書けることだけを書いてまいります。

 

また、自分自身の記憶をたぐるだけでなく、なるべく資料を見て正確な情報を書くように努めますが、いかんせん医療の専門家ではないので、間違ったことを書いてしまうかもしれません。記憶違いもないとは限りません。何かお気づきの点があれば、遠慮なくコメントにてご指摘をいただけると幸いです。

 

 

ではまず、「骨髄バンク」という組織について少し説明します。

白血病などの病気の治療には、健康な人の「骨髄液」を移植することが有効です。この骨髄液に含まれる白血球には、血液型のように何種類かの型があり、HLA型と呼ばれています。HLA型は血液型よりも種類が多く複雑なため、型の合う人の数は限られています。血縁がある者同士なら型が適合する確率は上がりますが、しかし血縁者であっても適合しない事もあります。

そこで「必要な人がいれば骨髄提供をしてもいい」と申し出た人達のHLA型の情報を集め、骨髄が必要な患者さんに提供するためのコーディネートをする。そんな役割をもった組織が、骨髄バンクなのです。

(詳しくは、日本骨髄バンクの公式ウェブサイトをご参照ください。)

 

ちなみに、骨髄採取の手術を受けた後、ドナーの骨髄はどれくらいで元に戻るのか…ということを気にされる方も多いかと思います。これは骨髄を抜き取る量(=患者さんが必要としている量)やドナーの体質によって異なりますが、私の場合、術後1ヵ月の血液検査ではほぼ元通りの数値に戻っていました。術後しばらくの間、腰の痛みや貧血っぽい症状が出たりしましたが、退院後にはおおむね普段通りの生活を送ることができるようになっていました。このことについても、後ほど詳しく書きますね。

 

話を戻します。

 

この記事では、私が骨髄採取のコーディネートで辿った道のりを、時系列に沿って書いていきます。

私がドナー登録したのはなんと10年以上前のことなのですが、適合通知が初めて来たのは一昨年の12月。そして採取手術は昨年の夏に受けました。術後一ヵ月の検診まで含めると、三つの季節を越える長い旅になりますが、よろしければお付き合いくださいませ。

 

最初に、適合通知から手術までの流れを箇条書きにしておきます。長大な記事になりますので、それぞれの項目をクリックするとそこにジャンプできるようにしました。必要なところからお読みいただければと思います。

また、このプロセスの中で、病院に行って検査や説明を受けるときに1歳の娘を連れていくことができたかどうかも「娘同行◯/×」という形で付け加えています(※受入先の病院によっては対応が異なるかもしれません)。

 

  

 では、詳しく書いていきますね。

 

0. 骨髄バンクへのドナー登録

時はさかのぼり、約10年前。ピッチピチの現役女子大生だった私は、学業に励むかたわら、定期的に大学のキャンパスに現れる献血カーを見つけては「血の気は有り余っているからな…」などと言って400ml献血をする日々を送っていました。

ある日、いつものように献血を終えて献血カーを出ようとすると、そこにいた方—看護師さんだったか、骨髄バンクから来た方だったかは失念しました—に呼び止められました。

骨髄バンクのドナー登録にご興味はありませんか?」

そこで骨髄バンクのパンフレットを見せていただき、「病気の方のために、私の元気な身体が役立つことがあるのか…」といたく感心した私は、二つ返事でドナー登録を決めました。登録に際し、献血をした際の血液情報をそのまま使うことができるので、改めて採血をすることなどはありませんでした。登録申込書に必要事項を記入して、あっという間に登録完了となりました。

 

それからは、骨髄バンクから定期的に届くニュースレターに目を通しつつ、「私とHLA型が合う患者さんは現れるかしら…それとも現れずに終わるのかしら…」と運命に思いを馳せる日々(ちょっと大袈裟)。

そして10年後の冬、とうとう我が家のポストに適合通知が舞い込みました。

 

1. 適合通知…まずはドナー自身の提供意思を確認

一昨年、12月のある日。書面にて、「あなたの骨髄の型に適合する患者がいます。骨髄提供に協力をお願いします」といった内容の通知が届きました。

 

※これは「承諾すれば必ず骨髄採取をしなければならない」というものではなく、あくまで「私が骨髄ドナーの候補者となった」ということ。このとき承諾したとしても、他にも候補者がいた場合などは、手術まで至らないことも多いそうです。

 

私はこの10年間ずっと「自分の骨髄が役に立つなら、ぜひ提供したい」と考えてきたので、二つ返事で承諾しようと思いました。

ただ、骨髄採取をするには、本人だけでなく家族の同意も不可欠です。

夫・ナコ太さんと、娘のおタマと3人暮らしの私は、ナコ太さんの同意がないと手術を受けることができないわけです。

さっそくナコ太さんに通知が来た旨を伝えましたが、ナコ太さんは戸惑っていました。そりゃそうですよね。全身麻酔をかけ、身体に針を何度も刺して骨髄液を抜きとるという、健康体にしては大掛かりな手術を受けるかもしれないのですから。しかも、そのために何日も入院しなければならないということもあります。

それに、自分が手術を受けることと、いちばん身近な家族が受けるのをただ見守るしかないということは、不安の質(というか種類…?)も違ってきます。ドナーに何かあったとき、ドナー自身は「自分で選んだこと、自分の身体に起こったことだから」と納得することができますが、家族の立場からすると相当に複雑な心境のはずです。そして、そういったときに対応を強いられるのもまた、家族のほうなのです。

でも、家族の同意については、コーディネーターに充分な説明を受け、最終同意の手続きを踏むときまでは保留可能。

ひとまずナコ太さんにはじっくりと考えてもらうことにし、ドナー本人からの同意骨髄バンクに伝えました。

 

ただ、ひとつ問題が。

このブログにも書きましたが、私はその年の健康診断で引っ掛かり、大腸の内視鏡検査を控えていたのでした。

 

骨髄バンクに電話してその旨をお伝えすると、「では検査の結果がわかり次第、バンクにお伝えください」とのお返事をいただきました。

やはり健康上、何らかの懸念がある場合は骨髄採取が難しくなるのでしょうか。詳しいことはわかりませんが、まずは「ドナーが健康体であること」の確認が第一に優先されるようでした。

ここで骨髄採取の手続きは1ヵ月ほど保留となり、年が明けてから私は内視鏡検査を受けてまいりました(これについてはこちらの記事をどうぞ)。

検査の結果「異常なし」と診断され、ほっと一息。

検査の日を骨髄バンクにも伝えてあったので、その日の夕刻にはバンクから電話がかかってきました。結果をお伝えし、無事に骨髄採取のコーディネートがスタートいたしました。

 

2. 確認検査…ドナーの血液検査と、手術についての詳細な説明(娘同行◯)

程なくして、骨髄バンクのコーディネーターの方から電話がかかってきました。これまでは、おそらくバンクの事務担当の方とのやり取りでしたが、ここからはずっと一人のコーディネーターさんと連絡を取り合っていくことになります。

骨髄採取手術では、患者とドナーについての守秘義務は絶対です。私は患者さんについて「私と同じ型の骨髄を必要としていること」以外のいかなる情報も知り得ませんし、患者さんも私のことについて一切知ることはできません。どこに住んでいるどんな方なのか、それがわかってしまうと、利害関係が生じてトラブルを招きかねないからです。そのため、間にコーディネーターが入り、手術について諸々の調整をしていただく、というわけです。

 

※ちなみに、こういった守秘義務があるため、私も手術の詳しい日程とか、手術を行った病院はどこかといった情報を公開することは禁じられています。この記事では当然、病院名などは書きませんし、日程についても「手術を行った月」までなら公開してもよろしい(ただし日付はダメ)ということをコーディネーターさんに確認済みのうえ、更にぼかして「夏に手術をした」ということのみ明かしたうえで書いていきます。

 

さて、コーディネーターさんと一緒に、まずは最初のステップ「確認検査」の日程を決めました。

この検査は「簡単な検査なので、娘も一緒に連れて行ってもいい」とのことで、おタマと共に指定された病院へ向かいます。

 

確認検査の日、コーディネーターさんと初めて対面。すぐに検査をするのかと思いきや、最初に骨髄採取のプロセスについて詳しい説明がありました。

場所は病院内の小さなミーティングルームのような部屋。個室なので、おタマは持ってきたおもちゃで気兼ねなく遊んだり、おやつを食べたりして過ごすことができました。

 

まず、骨髄バンクが扱う移植手術には「骨髄移植」と「末梢血幹細胞移植」の2種類があり、今回私が協力を求められているのは「骨髄移植」の方であるということを伝えられました。

そして、具体的に骨髄採取のプロセスに関する説明を受けます。この説明は、適合通知とともに送られてきた「ドナーハンドブック」の内容に沿った説明でした(※この「ドナーハンドブック」はドナー候補者でなくとも、骨髄バンクの公式サイトからダウンロードして読むことができます)。

具体的には、骨髄採取までの流れや、手術を受ける際のリスクについて、そして具体的な手術内容について、など。手術は全身麻酔をかけて行われ、当然全身から力が脱けた状態になるので、手術中は喉から管を入れて人工的に呼吸をする形になることや、麻酔が途中で切れてしまわないように麻酔科の医師が側についてしっかりと管理をすること、といった説明も受けました。

 

また、過去に手術を行った際の写真(見たくなければ見なくてもOK)も見せていただき、どんな体勢で、どんな針をつかって骨髄液を抜き取るのか、ということまでしっかりと教えていただきました。手術では背中から100回くらい(!)針を刺し、腸骨から少しずつ骨髄液を抜き取っていくそうで、その回数の多さにちょっとビックリしたのですが、「麻酔で眠ってる間に終わるんならまあいいか〜」と軽く受け止めることにしました。能天気な性格が幸いしたところです。

 (このとき受けた説明の詳しい内容については、しつこいようですが、骨髄バンクの公式サイトに詳しく正確な情報が載っています。よろしければそちらもご参照くださいませ。)

 

更に、手術の際のリスク管理については、本当に徹底的に「万が一」「億が一」まで想定されていて「すごいなあ」と感心いたしました。

骨髄バンクが発足してからは、骨髄採取手術で死亡事故が起こったり後遺障害が残ったりするケースは生じていないそうなのですが、そういった事態になったときの補償についても細かく規定されています。ドナーは強制的に傷害保険に加入することになりますが、保険料を負担する必要はありません。

また、死亡事故とまではいかなくても、手術中に何か少しでも変わった事態が起きれば、即座に手術は中止。骨髄提供という最終目的よりも、ドナーの健康維持を優先して手術は行われるそうです。

そして、骨髄バンクが発足する前、まだ骨髄採取のノウハウが確立していなかった頃、主に海外で行われた手術で死亡や後遺障害が残った全てのケースについて、その失敗の原因と、今はどのように改善されているかということまで、とても丁寧に説明していただきました。

 

最後に、こういった説明を受けたうえで私が「やっぱり骨髄提供はしたくない」と思ったり、手術を受けられない事情ができたりした場合は、コーディネートを中止することが充分可能であるということについて、しっかりと念を押されました。

ドナーの意思決定については、確認検査の結果が出たあと「最終同意」の手続きを踏むので、家族とともにそこで最終的な意思を伝えることになります。そして最終同意をしたあとは、患者さんも骨髄移植に向けて準備の態勢に入るため、ここからのキャンセルはできない、とのことでした。もちろん、ドナーが不慮の事故に遭うなどやむを得ない理由でキャンセルとなることもありますが、その場合にも患者さんの身体にかかる負担がとても大きいのだそうです。

 

だから、骨髄提供をする意思があるのであれば、とにかくケガをしないこと、健康状態を維持することに努めるように、とのことでした。特に手術2週間前からは、身体を無理に動かすと色々な数値が変動する恐れがあるので、激しい運動は禁止。私は週に1〜2回、ジムに行って走ったり筋トレをしたりするのですが、そういったことも手術前には控えるように、と言われました。

 

こうした説明を受けた後、確認検査となりました。といっても、このときの検査は採血と身体計測のみ。人見知りして泣きまくるおタマをコーディネーターさんや周りの看護師さんに見守ってもらいながら(ありがたいやら申し訳ないやら…、でもとても温かく対応していただきました)、検査を終えました。

 

検査結果は、検査の一ヵ月ほど後に郵送で届きました。血液検査も異常なしということで、ここから先は患者さんの体調も含めて、手術時期を見定めるためいったん待機となりました。

 

ちなみに、この段階では私はまだ「ドナー候補者」という立場。他にも同じHLA型のドナー候補者がいるかもしれず、その中から最適なドナーを選ぶという手続きが踏まれうる期間です。

ただ、この「ドナー候補者が自分以外に何人いるのか」という情報は、守秘義務があるため候補者自身には知らされません。私しか候補者がいない、という可能性もじゅうぶんにあり得ますが、そうなった時に候補者がプレッシャーを感じる必要のないように…という配慮でもあるのでしょうね。

 

3. 最終同意…家族も交えての詳細な説明、及び家族と本人の最終的な意思決定(娘同行◯)

そうして、数ヶ月の月日が流れました。

ドナーハンドブックに書いてあった大体の目安によると、「適合通知から手術終了までの期間はおよそ4ヵ月ほど」とのことだったのですが、それにしては話が進むのが遅いな…? と思っておりました。

我々家族としては、3年間の育児休業が終わる前に願わくば第二子を妊娠したいという希望があり(結局妊娠はできなかったのですが)、逆算するとコーディネートが長引くのはあまり本意ではありません。当たり前ですが、妊娠すると骨髄提供のコーディネートはその時点で中止となります。

かといって、患者さんの方はそれこそ命が危険に晒されているわけなので、こちらがワガママを言ったところでどうにかなる訳でもなく…。ジリジリと不安な時間が過ぎていきました。

 

ちなみに、この進展を待っている期間にコーディネーターさんから一度連絡を受け、「もし手術を受けるとしたら、どの病院を希望するか」ということを訊かれました。もちろん骨髄採取を行うことのできる病院の選択肢は限られていますが、条件さえ合えば、ドナーの希望に沿った病院で手術を受けることができるのだそうです。私が現在住んでいるところは私の故郷ではないので、故郷の関西で手術を受けるか、それともいま住んでいる市内の病院にするかを選ぶことができ、市内でもどの病院がいいか希望を伝えることができると言われました。私は夫と話し合い、「いま住んでいる市内の病院で、なるべく骨髄採取手術をこなした件数の多い病院で手術できれば安心」ということをお伝えしました。そして最終的に、希望通りの病院で手術を受けることができました。

 

さて、確認検査が終わった真冬から時は進み、春が過ぎて梅雨にさしかかった頃、ようやく最終同意のプロセスへ進む旨の通知を受けました。これは、複数いるかもしれなかったドナー候補者の中で、私がドナーとして正式に選定され、手術の時期も定まってきたということを意味します。

最終同意面談では、手術を行う病院へドナー本人とその家族が赴き、医師・骨髄バンクのコーディネーター・病院側のコーディネーターを交えてもういちど詳しい説明を聞きます(この説明は確認検査のときに受けたものとほぼ同じ内容でした)。その内容に納得すれば、本人と家族が同意の署名を行い、骨髄採取の手術を受けることが正式に決定します。

 

このとき、「娘を連れて行ってもいいか」ということを事前に訊いてOKをもらっていたので、おタマには面談の間、私のひざにちょこんと座って遊んでいてもらいました。ひととおりの説明を受け、最終同意する前に「気になっていることがあれば何でも訊いてほしい」とのことだったので、ナコ太さんは全身麻酔のリスクや手術時期が変動する可能性などについて先生に質問していました。全くの健康体である私が全身麻酔を受け、そのことによって何か後遺障害が残るような可能性はどれくらいあるか…等ということを訊いていたと思います(我が夫ながら、よくそこまで考えてるなあ…と感心)。先生からは「細心の注意を払って手術を行うが、全身麻酔を行うことへのリスクが全くないとは言いきれず、交通事故に遭うような確率で何かが起こる可能性は否定できない」とのお答えでした。手術時期に関しても、なるべく予定通りに進むように患者さんのほうでも調整をするが、体調の変化などによって時期がずれこむ可能性も否定できない、とのことです。

心配していたことについてもひととおり説明を受け、私、ナコ太さんがそれぞれに必要な書類に署名をして、最終同意の手続きは終了となりました。

 

4. 採取前健康診断…確認検査よりも詳しい検査(娘同行×)

夏も深まってきた頃、採取前健康診断を受けることになりました。これは確認検査よりも更に詳しい検査で、採血・身体計測・尿検査、更に肺活量の検査までありました(全身麻酔に関係あるのかしら?)。この日はさすがにおタマを連れて行くことはできないので、保育園に預けて私だけ検査に向かいました。

 

検査がひととおり終了し、これで帰れる…と思いきや、血液検査の結果を知らされてビックリ。血液に含まれるヘモグロビンの量が規定値を少しだけ下回っていて、数日後に再検査をしなければならない、とのことでした。そういえば私、献血をするときにも「ヘモグロビン量不足のため献血できません」と言われることが時々あったな…。女性はどうしても足りなくなりがちなんですよね、ヘモグロビン。

ここでもし「再検査をしてもヘモグロビンが足りなかった」なんてことになれば、その時点でコーディネートは中止となってしまいます。せっかくここまで来たのに、それだけは避けたい…!! 

先生に「ヘモグロビン、どうすれば増えますかね?」とお聞きしたところ、「鉄分が多いものをたくさん食べて。あとはお肉。とにかく食べまくること」だそうです。私、痩せ型ではない(むしろちょっとポッチャリしてます)のですが、患者さんの命を救うためには致し方あるまい…と、それから数日間、お肉中心に食事の量を増やし、納豆や小松菜など鉄分の多い食材もバクバクと食べながら鉄分サプリを欠かさず飲むという生活を送りました。お陰で1キロくらい増量しちゃいましたが、努力の甲斐あってか再検査では規定量をクリアし、めでたく(?)手術に臨むことが可能になりました。

同じ日に、病院のスタッフの方から入院に関する説明を受け、必要なものなどをチェックしてから解散となりました。

 

ここから入院までの間は、とにかく「ケガしないように、風邪をひかないように」と細心の注意を払う日々でした。せっかく規定値に達したヘモグロビンも失う訳にはいかないので、とにかく多めに食べて、しかし手術前は運動もしちゃいけないし、ということで更に1キロの増量という偉業を達成しつつ(トホホ)、無事に健康体を維持したまま入院生活に突入することと相成りました。

 

※ちなみに、採取前健康診断が終わった後、骨髄採取のスケジュールでは「自己血採血」という手続きを経る場合もあります。これは、骨髄液をたくさん採取したドナーが貧血にならないよう、自分自身に輸血するための血液をあらかじめ採血しておく…というもの。今回の私の場合、採取量が少なめだったため、「自己血採血は必要ない」とのことでした。

 

5. 骨髄採取 

入院1日目(手術前日)

いよいよ入院当日です。

これから3泊4日の間、病院で生活することになります。ナコ太さんが休みを取って家にいてくれているので、家事や育児は彼にお任せして、私は心おきなく病院へ赴きます。

洗面用具や下着、入院中の暇つぶしのための勉強道具などを山ほど背負って病院へ到着。さっそく部屋へ通していただきました。

 

骨髄採取に伴う入院には個室をあてがっていただくことが多いと聞いていましたが、どうやら私が泊まる部屋は個室の中でも「特別室」という位置づけらしく、かなり広くて色々と設備がついている部屋を用意していただきました(詳しいことは書けませんが…)。

入院にかかる諸費用は、基本的にすべて患者さん自身が負担するということを前もって聞いていたので、なんだかありがたいような申し訳ないような気持ち…。ただでさえ重い病気と闘っておられ、特に今は骨髄移植前の過酷な前処置に耐えておられる患者さんが、私の部屋代まで負担してくださっているのかしら…と。

このことについては、後でコーディネーターさんにこっそり訊いてみたのですが、「もちろん基本的には患者さんの負担だけれど、実は病院側が配慮して特別室を用意してくださることもある」とのことでした。真実はどうなのかわかりませんが、私にできることは、していただいた配慮に感謝することだけ。とにかく手術が終わるまで元気でいることが私の努めだと肝に銘じ、入院生活をスタートさせました。

 

程なくして、血液検査のための採血がありました。ここでまたヘモグロビンが足りなかったらどうなるのかしら…とヒヤヒヤしましたが、増量した甲斐あって(汗)無事に規定量をクリアしておりました。血圧や体温の測定もあり、今の体調について簡単な問診を受けました。「どこか出血しているところは無いか」という質問もあり、「足の指に靴擦れがあって絆創膏をしています」と答えたのですが、たぶんこの情報は不要だったな…。

 

それから入院スケジュールの確認をしました。明日の午前中に採取手術、午後はベッド上安静の状態で過ごして、残り2日間は経過観察、という日程でした。

 

その後は、ナコ太さんやおタマが部屋を訪ねてきてくれたり、コーディネーターさんと話をしたり、何もない時間はロシア語や英語の勉強をしたりして、穏やかに過ごしました。しかし、ふだん家事や育児に追われている身としては、「健康でいること」以外は何もしなくてもいい生活というのは逆になんだかソワソワしますね…。ごはんも作らなくていいどころか、バランスの取れた塩分控えめのお食事を全て用意してもらえる上に、一人でゆっくり食べることができるなんて…! もちろん、今も懸命に病気と闘っている患者さんがおられる上でのこの状況なので、ノホホンとしているのもなんだか違うような感じもしますが、リラックスして過ごすことで明日の手術に備えよう…という気持ちで夜を迎えました。

 

入院時の説明では、この日は「24時以降は絶食、明日(手術当日)7時からは水を飲むのもダメ」とのことでした。これはつまり、裏を返せば「24時までは飲み食いしてもいいよ」ということだったのでしょうが、マジメな私は「入院中は出てきた食事しか食べちゃいけない」と無意識に考えていて、18時の夕食が終わってからは何も食べずに過ごしました。結果、この日の夜はお腹がすいてなかなか寝付けず(病院食って量が少ないんだよね)、「売店でなんか買ってきて食べとけば良かった…!!」と後悔することになりましたとさ。

 

入院2日目(手術当日)

朝7時。ぼんやり起きはじめると、すぐに看護師さんが入室。手術で行う点滴のための針をあらかじめ刺し、腕に固定していきます。これがきき腕だったので、顔が洗いづらくて難儀しました。早めに起きときゃ良かった…。

このとき「7時半までに水を500ml飲んでおくように」と突然言われ、「そんなこと言われてたっけ…?」と思いながらも私がボーっとして聞き逃していただけかもしれないので(←私あるある)、慌てて水を流し込みます。ところが一気に飲んだためすぐにトイレに行きたくなり、あんまり意味がなかったような感じになりました。

まあ、ふつうは手術の日って早めに起きて、そわそわしながら顔を洗ったり、絶飲食になる前に少しずつ水を飲んでおいたりするものなのでしょうね。ここは、能天気な性格が裏目に出たところ。

 

それから、全身麻酔をかける時に足がむくむのを防ぐため、病院が用意したピチピチサイズのストッキングを穿いておかなければならない、とのこと。これが本当にピッチピチにきつくって、看護師さんに手伝ってもらってウンウンいいながら頑張って穿きました。ずっと穿いてると足が細くなりそう…(多分、ならない)。

 

準備が整ったのでしばらく勉強をしたりして過ごし、いよいよ9時に手術室入室となりました。医療ドラマでよく見るシャワーキャップみたいのを頭につけ、手術台まで自分でスタスタ歩いて行きます(これもなかなかない体験…)。

指示された手術台によじ登って横になると、看護師さんたちから「いつドナー登録したんですか」などと雑談をふっていただきました。リラックスした雰囲気で手術に臨めるようにしてくださっているようです。私もニコニコと返事をしているうちに麻酔科の先生が来て、点滴をつなぎます。「眠くなる薬入れますねー」と言われてすぐ、意識が途切れました。

 

で、ぼんやり目を開けると「終わりましたよー」と看護師さんが微笑んでいました。

2時間ほどの手術だったと聞きましたが、私にとっては本当に一瞬の出来事のようでした。このときは当然、全身麻酔がまだ抜けきっていないので、意識はあるようなないような感じ。ガラガラとベッドを移動してもらう感覚は何となくわかったけれど、いつのまに病室に戻ってきたんだろう…。

それからしばらく、ウトウトしたり、起きて枕許の計器類を見つめたりして過ごしました。次第に意識がはっきりしてきます。

 

13時頃、ナコ太さんが様子を見に来てくれました(おタマは保育園)。この頃にはだいぶ意識がはっきりしてきているのですが、点滴と腰のでっかいガーゼ(後で確認したところ、マンガみたいに巨大なバッテン形のテープが貼られていました)が気になって身動きがとれません。胸には心電図を測るための電極、顔には酸素マスクがくっついています(まだ麻酔が抜けきっておらず、自発呼吸できない時のため)。

「まだ起き上がってはいけないが、寝返りなら打ってもいい」と説明を受けていたものの、下手に動くと何か外れたりしちゃいそうで怖い…。それならばまあジッとしていれば良いのですが、この時の私、間の悪いことにトイレに行きたくなっちゃったのです(手術前にも行ったのに!)。早く身体を起こしたいな〜とモゾモゾしていると、血圧を測りに来た看護師さんが「あと1時間で起きられますからねー」と説明してくださいました。

この1時間がなんとも長く感じられたのですが、ナコ太さんがいてくれたので、おしゃべりをしたり、棚に置いてあった携帯を取ってもらって(こんなことすら一人ではできないのです)いじったりして、ひたすら時間が過ぎるのを待ちます。

 

14時半、ようやく看護師さんが来てくださり、身体を起こしてみることになりました。ゆっくり頭を起こし、点滴を移動用のスタンドに移してもらいます。起きたかんじ大丈夫そうだったので、立ち上がって看護師さんの説明を聞いていると、次第に頭がくらくらしてきました。視界にパチパチと火花がはじけたような模様が広がってなんかヤバそうだったのですが、「だがしかしトイレには行きたい…!」という切実な思いがあり、堪えようとする私。看護師さんから「試しにトイレまで歩いてみましょうか」と言われ、これ幸いと二、三歩ほど進んでみたところで、突然スーっと意識が薄れてゆきました。

そして気がついたら、慌てた様子の看護師さんとナコ太氏の二人がかりでベッドに座らされていました。貧血でブッ倒れてしまったのです。いくらトイレに行きたいからって、めまいを我慢してはいけなかったのです(当たり前や)!!

看護師さんからは「お顔、白いですね、元からですかね」と言われましたが、ぜんぜん元からではありません。ものすごい量の汗が顔から噴き出しています。看護師さんがナースセンターに連絡を入れてくださったお陰で、色んな看護師さんやら担当の先生やらがわらわら入ってきて、ちょっとした騒ぎになってしまいました(私が無茶したせいで、ごめんなさい…)。先生がこのとき「採取した量は少なかったものの、わりと中身の濃いのが採れたので、むこう(患者さん)の先生にも喜ばれましたよ」と教えてくださいました。大食いして臨んだお陰かわかりませんが、私の元気な骨髄液が役に立ったのならば、本当にこれ以上の喜びはありません。

 

あとは患者さんへの移植手術が上手くいくかどうかですが、これについては私は知ることのできない身なので、ただひたすらに祈るしかありません。どうか、少しでも患者さんの状態が良くなっていますように…。

 

ちなみに、「トイレに行きたい」という私の願いはこのあと聞き入れていただき、移動式トイレを持ってきていただきました。ふだん娘におまるをさせている身としては、まさか自分もおまるをする日が来ようとは…とビックリするような気持ちになりましたが、まあ何事も経験が大事(?)ですよね。ともあれ、無事にスッキリすることができて一安心でした。

 

このあとも、バンクのコーディネーターさん、病院側のコーディネーターさん、麻酔科の先生、日勤と夜勤の看護師さんなど色々な人が入れ替わり立ち替わりやって来て、「この度はお疲れさまでした、ありがとうございました」と丁寧にあいさつをしてくださいます。いや、私は寝てただけなんだけどなあ、無茶して倒れて恥ずかしかったし…とか思いながら、貧血がまだ収まらないのでベッドに寝転がったまんまで「いやあ、えへへ」などと言ったりしておりました。

次第に貧血症状が落ち着いてきて、「やわらかいものから食べ始めてもいいですよ」とのことで、ナコ太さんがプリンを買ってきてくれました。おいしくいただいているうちに、お腹がものすごい勢いで「ぐぎゅるるる」と唸りを上げます。やっぱり昨日もう少し食べておけば良かったんだよね…。

 

また少し眠くなってきてウトウトと昼寝をしているうちに、ナコ太さんはそっと帰ってくれたようでした。夕方頃にはだいぶ気分も落ち着いていたので、恐る恐る立ち上がって病室内を歩いてみました。どうやら問題なさそうです(でも今思えば、また倒れたら大変なのであんまり動きまわらない方が良かったんだろうな…)。点滴も今日の分は終了し、つないでいる分を抜いてもらいました(でも針はまだ腕に刺さっています)。心電計の電極はまだ胸に貼り付いていますが、計器をストラップで首からぶら下げる形になっているので、比較的自由に動くことができます。

夕食後、病棟内を歩きまわっても問題ないくらい元気になってきました。ゆっくりと散歩したり、共用スペースに行って勉強したり。点滴の針が気になってノートが書きづらいけれど、できないというほどではありません。

そして21時に消灯。たくさん昼寝をしたので眠れないような気がしましたが、やはり色々と得難い体験をして疲れていたのか、布団に入るとスッと眠りにつくことができました。

 

入院3〜4日目(退院まで)

朝7時にすっきりと起床。朝食を終えると、看護師さんが点滴をしに来てくれました。1時間ほど抗生剤を入れたあと、ようやく針を抜いてもらえました。お昼前には心電計も撤去してもらい、かなり身軽になりました。

 

この日は「経過観察」、つまりは何もしないで様子を見る日、とのこと。またお見舞いに来てくれたナコ太さんとしゃべったり、骨髄バンクのコーディネーターさんも改めて様子を見にきてくださったりしました。

14時頃、先生の診察がありました。といっても、簡単に身体の様子を伝えたあと、傷口をちょんちょんと消毒するくらいでした。腰に貼りつけてあったでっかいガーゼを絆創膏に変えてもらい、動きやすさが更にアップします。傷の痛みはかなり薄れていて、仰向けになるとちょっとした腰痛程度の痛みがあるくらいでした。

 

夕食を摂ったあとに看護師さんがやって来て、明日の退院時間を自分で決めていいというので、午前中のうちに退院することにしました。

翌日は改めて先生が様子を見に来てくださったり、簡単に血圧や体温を計っていただいたりしましたが、特に変わったことは起こらず、無事に退院という運びになりました。

 

6. 採取後検診(娘同行×)

退院してからは、傷口の消毒薬を処方していただき、これを腰の傷に毎日塗るというケアを命じられました。「スワブスティック・ポビドンヨード」という必殺技として叫びたくなっちゃうような名前のお薬で、巨大な綿棒に消毒液が染み込ませてあります。これを毎日チョンチョンと腰の傷に塗るだけ。ちなみに傷といっても、針で刺した跡(というか点)が二つあるだけで、これもしばらくすると目立たなくなりました。100回針を刺したとのことだけれど、同じところに何度も上手に刺したんだなあ…。改めて、お医者さんってすごいなあ。

 

退院後の生活については、特に気をつけることなど言われた訳ではありませんが、なんせ手術直後に貧血で倒れているので、なるべく身体を動かしすぎないように、穏やかに過ごすよう努めました。

身体の痛みについては相変わらず、仰向けになった時だけちょっと腰が気になる程度の痛みがありましたが、術後2週間くらいするとそれも落ち着いてきました。

 

手術から約1ヵ月後に検診があり、採血や問診を受けました。採血の結果から、身体がほぼ元通りの状態に回復していることが確認でき、これにて骨髄採取のプロセスは全て終了となりました。

 

7. まとめと、これからのこと

長いレポートとなりました。これが私の体験した「骨髄採取」のプロセスの全てです。

私の骨髄は果たして、無事に患者さんの役に立ったのでしょうか…。骨髄バンクの規則では、患者さんとドナーの交流に関しては、バンクを介して手紙を送ることのみ許可されているそうです。元気になったという報せが来てくれたらものすごく嬉しいけれど、今はまだ回復に向かっている最中なのかもしれませんし、私からはただただ「元気になってほしいなあ…」と祈るのみです。

 

そして、今後について。

骨髄バンクのドナーは骨髄採取後、1年経てば再びドナー登録を継続することができます。

私は今回の経験で「見知らぬ誰かの役に立てること」の喜びを味わいました。だから1年後に必ずドナー登録の継続を表明し、また求められることがあれば迷わず骨髄提供をしようと決めていました。

ところが、その数ヶ月後に私自身がある病気にかかって大出血をし、輸血を受けることになってしまいました。輸血を受けたことのある人間は、骨髄提供や献血をすることが二度とできなくなります(感染症のリスクを避けるため)。

数奇なことですが、私の骨髄液がどこかにいる誰かの役に立ったのと同じように、私の命もどこかにいる誰かが献血をした血液によって救われることになったのです。こうやって命は繋がっていくのだなあ…ということを実感する反面、こうなる前に私ももっと献血をしておけば良かった…という気持ちもあったりします。

 

骨髄バンクのドナーになることは、これまで書いてきたとおり様々な負担があるため、簡単に人に勧めることができません。ですが、骨髄バンクについての正しい認識が少しでも広まり、ドナー登録に興味を持ってくださる方が一人でも増えれば、より多くの患者さんの命を救うことにつながります。微力ながら、私もその一助になることができれば…と考え、今回、このような形で情報をまとめました。

 

ちなみに、今回は入院している間、夫に休みを取ってもらいました。夫の会社には、家族が入院したり体調を崩したりした時に休暇を取れる制度があり、それを利用したのだそうです。もっとダイレクトに「ドナー休暇制度」という制度を採用している会社もあるそうですし、自治体によってはドナーに助成金を出してくれるところもあります。こういった制度がもっと広く普及していくことを切に望みます。

 

最後に、この「ドナー体験記」は、飽くまで私自身の経験によるものです。骨髄バンク事務局やコーディネーター、そして病院の対応は、その地域や施設によって異なります。また骨髄バンクについての情報は、できるだけバンクのオフィシャルサイトなどを参照しながら間違いのないように書いたつもりですが、何か間違いや抜けがあるかもしれません。そういったことへの訂正や私への質問(答えられる範囲で)、ご意見などあれば、どうぞ遠慮なくコメントを残していただけると幸いです。

 

 

さて、いつも自分の趣味全開でふざけたことばかり書いている当ブログですが、今回はまじめに色々なことを考えたり調べたり、思い出したりしながら記事を書いてきました。私には珍しいことです。

次回から、また通常営業に戻ります。「ミッフィーのぼうけん」英語ディクテーション、今週分を近いうちにお届けできると思います。

では、またお会いしましょう〜。