かあさんは雨女

語学と育児、その他いろいろ。

第二の誕生日を祝おう。〜「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ〈第二話〉 その④〜

こんにちは。

今日も元気に、育児と語学学習に邁進中のマミです。

少し前に「10年ものの愛用メガネを娘・おタマにへし折られてしまいました。しょぼん」ということを写真付きで報告したのですが、新たなメガネを購入して2ヵ月。

気を抜くとすぐにズリ落ちる古いメガネに慣れてしまっていた私、家事労働で動き回ってもゴロゴロ寝転がっても寸分違わず私の鼻先に鎮座してくれる新しいメガネの使い心地にたいへん満足し、以前よりもメガネで過ごす時間が長くなりました(何しろ育休中の身、ふだんからお洒落する必要性もない訳だしね)。

 

そして、事あるごとにまたメガネを破壊してやろうと(いや本当にそう思っている訳じゃないんだろうけど)伸びてくるおタマの小さな手を払いのけたり、逆に握り返して一緒に踊ったり、気を逸らすため突然歌いだしたり、また時々は「これがないとママは目が見えなくて困るんだよ」とまじめに説明したりと色々しているうちに、おタマはどうやら何かを学んでくれたようです。

今では私の顔がおタマの手の届くところにあっても、一瞬じっとメガネを見つめて何か物欲しそうな顔をするものの、手を伸ばさなくなりました。

 

「ママの顔にのっかってる変な道具、また触ってみたいけど、あれがないとママはたいへん困るらしいぞ」ということを理解したのでしょうか、はたまた「私があれを触るとママは奇行に走るからやめておこう」と思っているのか…。

 

何にしても、娘がまた新しい事をひとつ学んでくれたようで、母としては喜ばしい限りです。

 

さて今回は、ソ連時代の愛くるしい人形アニメチェブラーシカ」からロシア語を読み解くプロジェクト、第二話の第四弾をお送りいたします。

 

前回までの記事はこちら。

お誕生日には魔法を。〜「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ〈第二話〉 その①〜

空飛ぶチェブラーシカ。〜「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ〈第二話〉 その②〜

なんにもできないアイツ。〜「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ〈第二話〉 その③〜

 

※当ブログで実施している「チェブラーシカ」プロジェクトの詳細については、こちらの記事をご覧ください。

「チェブラーシカ」でロシア語を学ぶ。〜プロローグ〜

 

また、短編一作目『ワニのゲーナ』の訳と解説(全6回)をご覧になりたい方は、この記事のカテゴリ「ロシア語学習」をクリックして各ページに飛んでくださいね。 

 

 

子どもたちのための遊び場を作ろうと考えた、チェブラーシカとゲーナ。

前回は変電設備を爆発させるという失敗がありましたが、次なる作戦や如何に…?

 

子どもたち、チェブラーシカを囲んで歌を歌いはじめました。

 

子どもたち:

Как на Чебурашкины имениныチェブラーシカの「名の日」のお祝いに)

Испекли мы каравай.(私たちはカラヴァイを焼いた)

Вот такой вышины,(ほら、こんなに背の高いパン)

Вот такой нижины,(ほら、こんなに背の低いパン)

Вот такой ширины...(ほら、こんなに厚いパン…)

 

輪になって、楽しそうに歌っています。

これは、ひょっとして「かごめかごめ」のような、ロシアの子どもたちにおなじみのわらべ歌なのかな…?

と思い、歌詞の中からキーワードらしき"каравай"(字幕では「大きな丸いパン」)について検索したところ、当たりでした。まさに"Каравай, Каравай"という名の遊び歌です。英訳も発見したので、次のページを参考に日本語訳を作りました。

 

Russian Children Songs - Karavai, Karavai (Каравай, Каравай) lyrics + English translation

 

どうやら、本来はお誕生日に歌う歌のようですねー。

ロシアでは、誕生日や結婚式などお祝いのときに「カラヴァイ(каравай)」という大きな丸いパンを焼く習慣があり、それについての歌のようです。

 

「カラヴァイ」について詳しく説明したページも見つかりましたよ。

 

ロシアの丸パン - ロシア・ビヨンド

 

このページでは、結婚式、新築祝い、葬式のときに焼くパンとありますが、とにかくロシア人にとって「お祝いなどセレモニーの時に食べるパン」といえばカラヴァイなのでしょうね。

 

で、子どもたちはチェブラーシカを囲んで、彼の"именины"つまり「名の日」のお祝いをした、と言っています。

「名の日」というのも日本人には馴染みのないものですが、ロシア人はキリスト教ロシア正教)の聖人にちなんだ名前をつけてもらう人が多く、その聖人の命日などの記念日を自分の「第二の誕生日」のようにお祝いするのだそうです。

たとえばイワンという名前の人は、守護聖人イワンにちなんだ祝日を「名の日」としてお祝いするわけですね。ただ、私は漠然と「記念日は各聖人につき1日ずつ」なのだと思っていましたが、調べてみたところイワンの記念日は年に108日もあるそうで、その中から自分の誕生日に近いものを選んだりするんだとか。(聖人の中にも複数のイワンがいて、どの日がどのイワンの記念日かわかんなくなっちゃったりしているそうです。なんのこっちゃ)。

 

ロシア語の勉強を始めるまで、「ロシア人ってイワンとかタチアナとか、同じ名前の人がたくさんいるなあ。友だちと かぶって紛らわしくならないのかなあ」なんて思っていましたが、子どもの名付けとロシア正教が密接に関わっていたのですね。限られた聖人の名前から選んでつけるのなら、かぶっても仕方ない、ということなのでしょうね。

 

ちなみに、「名の日」についての情報は以下のウェブページを参考にしました。

ロシア人の名前:名の日

 

このページの中に、偶然にもチェブラーシカに関わるおもしろい記述があったので、引用しておきます。

 

 エドゥアルドというイーミャ(引用者注:名前のこと)の聖者はカトリックにはいるが、正教にはおらず、ロシア正教会ではエドゥアルドという聖者の記念日を設定していない。このため、チェブラーシュカの原作者エドゥアルド・ウスペンスキイには名の日が存在しないことになる。このような場合、音が似ている、とか、語源(学問的なものというより民間的なもの)が同じ、とか様々な理由で、別のイーミャの聖者の記念日を名の日とすることが多い。もっともウスペンスキイの場合は、ソ連時代の生まれでもあり(つまり人々の信仰心が薄れた時代の人であり)、そのような形で名の日を設定しているかどうかは知らない。(太字は引用者による)

 

チェブラーシカの原作者で、この短編アニメの監督でもあるウスペンスキーさんには、名の日がなかったのですね。この記述にあるように、他の日にこじつけて(?)お祝いしていたのか、していなかったのか、気になるところです。

 

そしてアニメの中では、子どもたちが「チェブラーシカの名の日を祝う」と歌っていますが、「チェブラーシカ」は「ばったり倒れる」という擬音語からの造語(詳しくは当ブログの過去記事よりこちらをご参照ください)がもとになった名なので、守護聖人などいるはずもありません。ここは、「カラヴァイ」の歌が元々バースデーソングであることから考えても「誕生日を祝う」で良さそうなのに、わざわざ「名の日」にしたのは何故なのでしょう。

もしかしたら、守護聖人のいないウスペンスキー監督が、チェブラーシカに自分を重ねて、彼にも「名の日」を祝ってあげよう…という思いが顕われた表現なのかもしれませんね。

きっと考えすぎなのでしょうが、ちょっと素敵な想像が広がってしまいました。

 

さて、「名の日」の話題でずいぶんと盛り上がってしまいましたが、ロシア語の解説に移ります。

 

まず、「チェブラーシカの名の日」が"Чебурашкины именины"となっています。チェブラーシカ(Чебурашкa)の名前に接尾辞-иныがついていますね。

これは、人の名前や職業名などに接尾辞-инをつけることで「誰々の〜」という形容詞のようなはたらきを持たせることができる用法です。「名の日」имениныは常に複数形となる名詞なので、-инも複数形で-иныとなっています。

次に、испеклиは「(パンなどを)焼く」という意味の動詞испечьの複数形過去。

ちなみにиспечьの過去形は、男-女-中-複の順に

испёк-испекла-испекло-испекли

となるそうです。うーん、不規則。

 

さて、次に出てくる"вышины""нижины""ширины"という3つの語ですが、それぞれ「高い」「低い」「広い」という意味の形容詞"высокий""нижний""широкий"が元になっているようです。が、形が微妙に違うのがどういった意味をもつのか、というところまでは不明でした。

それぞれの形容詞を比較級にすると"выше""нижнее""шире"と、なんとなく近くなるような気もするのですが…それ以上はわかりませんでした。現代ロシア語では使われていない用法なのかもしれませんし、はたまた上記の接尾辞-иныと形をそろえて脚韻を踏むために、このような形にしているのかもしれません。

 

さて、お話に戻ります。子どもたちが「カラヴァイの歌」を歌っているあいだに、ゲーナは資材が山盛りになった手押し車を押してきました。

 

チェブ:Ой, сколько дров! Мы что, костёр будем разводить?

(わあ、薪がいっぱいだね! 僕たち、たき火をするの?)

ゲーナ:Да нет, мы будем строить детскую площадку.

(うん、違うよ、子どものための広場を作るんだよ。) 

 

дровは「薪」という意味の名詞дроваの変化形。сколькоに接続しているため複数生格になっています。

костёр(たき火)、разводить(火をつける)は前回出てきましたね。

たくさん木材を持ってきたゲーナに「ピオネールになる練習に、たき火をするの?」とワクワクするチェブですが、ゲーナの答えは「детскую площадку(子どもの広場)を建設する」というもの。детский площадкаの対格形ですね。

ちなみにплощадкаというのは、площадь(広場)に縮小辞-каがついて「小さな広場」となった形です。

 

ゲーナ:Ну, вы пока покачайтесь.(さあ、これでユラユラしてごらん。) 

 

покачайтесьは「揺れる」という意味の動詞покачатьсяの複数命令形。

丸太に板をのせただけの遊具ですが、子どもたちはシーソーのように上手に遊びはじめました(でも危ないなあ…とまたオカン目線になってしまう私)。

 

続いて、強力な送風機(? リーフブロワー?)のようなものを操縦しようとして暴走させちゃったりと奮闘しながら、ゲーナは広場の建設にいそしみます。

続いて地面に工事用ドリルで穴を開けているところへ、ピオネールの少年たちが興味津々で近づいてきます。

 

少年1:А может, вам помочь нужно?(ひょっとして、手伝いが必要ですか?)

ゲーナ:Спасибо, у вас и так много дел.(ありがとう、君たちにもやることがたくさんあるでしょ。)

少年2:Дайте мне немножко поработать.(少しやらせてよ。)

ゲーナ:Не дам! Ещё молоток упустишь... (だめ! まだハンマーも持てないでしょ。)

 

"a может"というのは、ここでは「ひょっとして」とか「恐らく」のような意味ですね。

"вам помочь нужно?"は直訳すると、「あなた(達)にとって、手伝いが必要ですか?」ということ。この場合の人称代名詞は与格形をとります。

それに対して、"у вас и так много дел."と遠慮するゲーナ。「仕事、すべきこと」を意味する名詞делоがмного(たくさんの)の要求で複数生格делになっています。

ゲーナの持つドリルを見て「ちょっとやらせてよ」と興味を示す少年。дать(ここでは複数命令形дайте)+不定で、「〜させる、〜するのを許す」という使役の形ですね。

最後のゲーナの台詞、дамというのはдатьの一人称複数形なので、否定形で「させられない」と断っています。

ただ、続きの"Ещё молоток упустишь."の部分については、訳がこれで合っているのか自信がありません。字幕では「君には無理だよ」となっていますが、молотокは「ハンマー」、упустишьは「手放す、逃す」という意味の動詞упуститьの二人称単数形なので、直訳すると「君はまだハンマーを手放す」となります。ここから、ドリルなんてとんでもない、君みたいな子どもはハンマーでも危ないくらい…と言っているのかと受け取りましたが、どうかしら。

 

何はともあれ、ピオネールに入るのを断られたのに、そのピオネールに頼るわけにはいかないんだ、というゲーナの意地が垣間見える場面ですね。

 

チェブ:Теперь они ни за что не возьмут нас к себе.

(これでもう、彼らは僕たちを入れてくれなくなったね。)

 

"ни за что"は「決して〜ない」という意味のイディオムです。

"не возьмут нас к себе"というのは、少年達はもうゲーナ達をピオネールには入れてくれないだろう、と言っているのですね。「あんな断り方したから嫌われちゃったね」とばかりにションボリ呟くチェブですが、そのわりにはゲーナがまたガルモーシカを演奏して二人で踊りだしたりと、なんだか吹っ切れたようにも見えます。

 

と、そこへ、お役人さんのような出で立ちのおじさんが現れます。勝手に広場を工事しているゲーナ達に苦情を入れに来たのか、はたまた…?

続きが気になるところですが、長くなりましたので、今日はこのへんにしておきます。

 

次回は、先週分の「ミッフィー」英語ディクテーションをお送りしたのち、また「チェブラーシカ」の続きをやりたいと思っています。

 

では、また近いうちにお会いしましょう。