かあさんは雨女

語学と育児、その他いろいろ。

中学1年生に、オールイングリッシュの授業は可能か。

こんにちは。梅雨が近づいていますね。

北陸でも、雨が降ったりやんだり、じめじめしています。

我が家ではこの季節に梅仕事をするのが恒例行事なのですが、今年も青梅がたくさん手に入ったので、さっそく梅シロップを仕込んでいます。青梅を洗って水にさらした後、ぎっしりの上白糖で漬け込んで数日放置すれば、梅の果汁がとろりと溶け出して美味なのです。去年は産休前のごあいさつに、職場の先生方に梅シロップを配りました。あれからもう1年経ったのだなあ。早いものです。

 

さて、前回の英語学習記事について、いくつかご指摘をいただきました。

それらに答えつつ、記事の後半では日本の教師の働き方、教育の在り方についての少しスケールの大きい話になりますが、よろしければお付き合いください。

 

まず、politician/statesman問題。

アメリカ英語では、この違いを意識したような用例が数点あるということでした。以下に、紹介していただいた文例を載せます。

 

A politician thinks of the next election. A statesman, of the next generation.

(politicianは次の選挙のことを考え、statesmanは次の世代のことを考える。)

 

まさに、「politicianはお金のためだけに政治をしている」というニュアンスを含んだ表現ですね。

また、"we need statesmen, not politicians(politicianは要らない、statesmanが必要だ)"という表現もあるそうです。

こうなってくると、こんなニュアンスの違いがあるにもかかわらず、報道ではpoliticianが使われていることの方が不思議に思えてきますが、やはり「statesman との対比が行われないかぎり、politicianはニュートラルに政治家を意味する」という解釈でよいのだろう、ということです。

ことばって、意味もニュアンスも場面や時代で変化していくし、本当に難しいものです。私も文句ばっかり言ってちゃいけないな。勉強しつづけよう。

 

他に、「"How are you?"も" I'm fine, thank you. And you?"も、使わなくはない。ただ、この表現のみの画一的な指導になってしまうことが問題なので、場面や文脈に応じて色々な表現を教えるべきだ」という意見もありました。

全くその通りだと思います。

英語の「お元気ですか?」に相当するあいさつ表現は、ざっと思い浮かべただけでも、かなりの種類が存在します。

 

How are you (doing)?

How have you been?

What's up?

How's it going?

How's life?

 

などなど。調べればもっと出てきそうです。どれも少しずつ、使う場面や想定される相手が異なります。しかし私の記憶している限り、中学・高校と6年間英語教育を受けた中で、出会った事のある表現は"How are you?"だけです。この偏りが問題なのです(私の学生時代の話なので、現代では多少改善されているのではないかと思いますが)。

 

私はロシア語を学習していますが、初級テキストの段階でも同じように「お元気ですか?」に相当する表現がいくつも出てきました。私が学習に使っているNHKラジオの「まいにちロシア語」講座でも、講師の先生が「色々なバリエーションがありますが、初級のうちにしっかりおさえておくことで、実際の会話でも落ち着いて受け答えができますから」というようなことをおっしゃっていました。

こういった「実際に話すときに困らないように」という視点が抜け落ちてしまいがちなのが、これまでの英語教育だったのではないかしら、と思うのです。

 

現在、英語教育界では「オールイングリッシュで授業を」という要請が高まっています。文字通り、授業の最初から最後まで、教師は英語のみを使って指導し、生徒も英語で受け答えをするという授業です。

以前、オールイングリッシュを実践している先生の授業を見学したことがあります。なんと、対象は中学1年生。進学校ではなく、ごく普通の公立中学校でしたが、みごとに英語のみでの授業が成立していました。ちょっとその授業の様子を、思い出して書き留めてみます。

 

生徒数は20人。これは普段の学級の半分の数です。この中学校では、英語科の教員を複数配置することで、1クラスを2つに分けて授業することができるようにしていました(チームティーチングの形をとっている学年もあったように思います)。私は正直、「国語科でもそれやってよ…」と思っていましたが(泣)。この「少人数指導」の形も大きなポイントだと思います。

授業の最初に、先生がまず「調子はどう?」と生徒たちに問いかけます。全体に向かって問いかけ、全員が一斉に答えるやり方ではなく、一人ひとりの生徒の席まで行き、目を見て語りかけます。生徒は、それぞれ自分の調子に合わせて「元気です」「ちょっと眠いです」「疲れています」などと、懸命に考えて英語で答えていました(全員にやるわけにいかないので、たぶん3人くらいでしたが)。その答えに対しても、先生が「そっか、疲れてるんだ。部活がんばったんだね」などとテンポよくコメントを返してあげたりしていました。そのつど、生徒には「自分の英語が通じた!」という成功体験の記憶が残るわけです。また、周りの生徒も、そのやり取りに耳を傾けて「生のコミュニケーションを聴き取る」という経験を積み重ねることができます。

ここに書いたのは導入部のみですが、おおむねこのような感じで「プリントを配ります」「小テストをします。紙を裏返して」「名前を書いて」などの指示も全て、テンポ良く英語で行われ、きちんとその指示が通っていました。わからない生徒には、わかる生徒が教えてあげていましたし、それを「私語は禁止」などと咎めるような空気もありませんでした。

 

これを見て、私ははじめ「1年生の授業でオールイングリッシュなんて、無理じゃないの」なんて思っていた自分が恥ずかしくなりました。そして「こういう授業、受けたかった…」と切に思いました。もちろん、このような授業を実践するには高い会話スキルが必要ですし、個々のコミュニケーションを成立させつつ全体をだれさせないテクニックも不可欠です。ですが、こういった授業の中で、少しずつ「自分にも英語ができる」経験を積み重ねるような授業こそが、いま求められているものなのだと思います。

 

ただ、上から号令をかけて「オールイングリッシュをやりなさい」と言うだけでは現場は何も変わらないので(文科省はそういうやり方を通そうとしているようにも思えますが)、きちんと先生方が自分のスキルを磨くことができるような配慮があればいいな、と思っています。具体的には、雑務が多すぎて授業準備が後回しになってしまうような現状を何とかしないと、ということです。

私も、働いていたときは「部活に顔を出し、会議に出席し、教育委員会の調査アンケートに答え、日誌に記入していたらもう21時」みたいなことが日常的に起こっていて、そこから更に授業準備、教材研究をする気力はとうてい絞り出せない、という状態が普通でした(それでも必要なときはやっていましたが)。

ですから、毎日深夜に帰宅して眠るだけの生活を送っている先生に「勉強不足だ!」「ずさんな授業をするな!」などと言うのは、あまりに酷なことだと思うのです。まあそれを言ってくる先輩教師もいましたが、こういう人の言うことを聞いていたら過労死するので、適当に受け流すに越したことはありません。

何にしても、このような「社畜」的生活ではなく、きちんと定時の16時45分に仕事を終え、後の時間を自由に使えるとしたら、自分のスキルを磨くための学習や、視野を広げるための読書に充てる時間も確保できます。まあ眠るのでも趣味の時間にするのでもいいですが、こういう自由時間のない生活では人間の心は荒んでいくので、授業もつまらなくなります。特に経験を重ねれば重ねるほど、「去年やったのと同じでいいや」となり、その時の生徒の個性に合わせて授業をカスタマイズすることができなくなっていきます。

 

根性論で「休まずにやれ!」「学びつづけろ!」と言うことは簡単です。また、全く休まずにものすごい仕事量をこなすことのできるスーパーマンも、たまに存在します(こういう人が、周りにも自分と同じ仕事量を求めたりすると地獄ですね)。ですが、全国に教員は何十万人といるわけで、その何十万人が全員、身体を壊さずにきちんと自分のスキルを磨き、家庭生活も充実させることができる制度が必要なのです。

 

最後に、私の苦手な言葉を紹介します。教育業界でたいへんありがたがられ、名言として語り継がれている言葉ですが、昨今の長時間労働や過労死問題を助長するものだと私は思っています。

それは、「教師は五者たれ」という言葉。教師は五つの側面を持っているべきだ、といいます。ネットで調べれば色々出てきますが、私が研修で聞いた記憶をもとに、あえて自分なりの解釈で解説してみます。

 

①学者。言うまでもなく、豊富な知識を身につけ、学問をきわめること。

②役者。生徒の前では明るく振る舞い、大人のお手本となること。

③易者。生徒の将来を見定め、正しく導くこと。

④医者。心身ともに、生徒の健康に目を配ること。

⑤達者。(「芸者」とも)自分自身が健康であること。

 

いい言葉ですね。あまりに、響きのいい、うつくしい言葉達です。

私がこの言葉に関して思っていることは、ただ一つです。

 

無理だよ!!!!

 

教師は超人ではありません。さっきも言いましたが、何でもかんでも全てこなせる完璧な人間しか教師になれないんなら、夢も希望もありません。教師は凡人でいいんです。凡人なりに、自分のできる範囲で、自分を磨いていける人間であればいい、と私は思っています。というか、そうでも思わないと、教師なんてやってられません。

学者、達者くらいは分かりますが、教師は医者じゃないし、占い師でもありません。本職のお医者さんやカウンセラーさんがいるんだから、教師は自分の本分、授業づくりに集中できれば充分なんじゃないかと思います。二兎を追うものは一兎をも得ずといいますが、五兎をいちどに追うようなことをすれば、どこかが必ず破綻します。人生の限られた時間の中で、できる範囲の努力をしていきたいものです。

 

なんだか規模の大きい話になってしまいましたが、まとめると「にっぽんの先生たちに時間をくれ」「先生たちは時間ができたら、無理のない範囲で自分のスキルを磨いてくれ」ということです。

先生たちに心の余裕ができることで、日本の子どもたちに自信と笑顔が増えていく。私は、そのように思っております。

 

なんだか、いつになくまじめなことを書いてしまいましたが、眠たくなってきたので今日はこのへんで。

またお会いしましょう。 

学校で習ったけれど、ウソだった英語、うさんくさい英語。

こんにちは。

先日、9ヵ月の娘・おタマに新たな歯が生えているのを発見しました。

これまで長らく下の前歯2本だけだったのですが、上にもうっすらと白い歯がのぞいています。すごーくがんばって、下からぐいーっと覗かないと見えないですが(笑)。

 

我が家では、娘の就寝前に歯磨き(の練習のようなもの)をするのが日課なのですが、普段は私が「おかあさんといっしょ」のハミガキの歌を歌ってあげながら磨いています。私の子ども時代のものですが「ぐりぐりしゃかしゃか、上の歯下の歯前歯奥歯〜♪」みたいな歌です。(今もまだあるのかなあ?)

で、昨日は珍しく、夫のナコ太氏に おタマの歯磨きをお願いしたのです。私は別室におったのですが、しばらくすると、2人のいる部屋から戸惑ったような歌声が聞こえてきました。

「えーと…、♪ぐりぐりしゃかしゃか、ぐりぐりしゃかしゃか、上の歯、下の歯…ヤンマーディーゼル〜♪」

私の歌うやつをうろ覚えで再現しているのでしょうが、途中からヤンマー発電機のCMソングのメロディーになっていました。

文句のひとつも言わず、上機嫌で歯を磨かれているおタマ。

我が娘ながら、とってもいいやつです。

がんばれナコ太さん!

 

ところで、お気づきの方もおられるかもしれませんが、前回から改行のしかたを変えました。これまではパソコンで読みやすいように、適当な句読点や文節で改行をしておったのですが、これではスマートフォンなどのポータブル端末でとても読みにくくなってしまうことに気づきまして。なるべく、段落の切れ目以外では改行しないようにいたしましたが、いかがでしょうか。

おかげさまで、じわじわと閲覧数を伸ばしている当ブログ。あちこちと話題が飛んでしまって節操のない私ですが、今後ともご愛顧いただければ嬉しい限りです。

 

さて、毎度前置きが長いですね。

今回は、英語学習のお話です。

 

※既存の学校教育に疑問を呈するような記述が含まれていますので、気分を害される予感のある方は読まずにおくことをお勧めします。また、学校教育への個人的な恨み言ともとれる記述もございます。笑って読みとばせる心の余裕のある方のみ先へお進みください。

 

ロシア語能力検定も終わり、区切りがついたので、ぼちぼちと英語学習に立ち戻っております。

(今月末にはスペイン語検定も控えておりますので、そちらが近づいてきたら今度はスペイン語の話題にシフトしていくかと思います。)

 

私が英語を学習するときは、なるべく「ネイティヴの人も使っている生の音声や文章に触れること」を心がけてやっています。具体的にいうと、英語で書かれた雑誌、海外のニュースやインタビューの音声を集めた教材、そして英語圏の映画やドラマなどです。

ちょっと偏見なのですが、学習のために作られた素材だと、内容に偏りが生じてしまうような気がするのです。もちろんいい教材もたくさんあるのでしょうけれど、私がどうしても「学習用に作られたもの」を信用できない原因として、学校で習った英語がウソっぱちで使えなかった、という経験をしたことがあります。

それも、一度や二度ではありません。度々です。「ネイティヴはこういうふうに言わないから」とか先生が言っていた表現を、ナチュラルにハリウッド俳優が口にしているのを見たりすると、何というか、腰から力が抜けるような気持ちになります。

大学受験時代は、けっこうがんばらないと入れない大学に入るために、けっこうがんばって英語を覚えた記憶があるのですが、その中には特にウソっぱちが多かったです。あの努力は何だったんだ、とヘナヘナしちゃいます(もちろん、無駄じゃなかった知識の方が多いですし、あの時がんばったから今があるのだとは思っていますが)。

 

というわけで、改めて、私がこれまでに出っくわした「ウソっぱち英語」や「間違ってはいないけど、うさんくさい英語」を以下に列挙してみます。

 

①現在完了進行形は、「ずっと絶え間なく〜している」という意味である

 中学校の英語だったように思うのですが、いわゆる"have been -ing"の形。

たとえば、

It has been raining since yesterday.

というと、「昨日からずーっと雨が降っている」という意味になります。

ここまではいいのですが、問題は、以下の例文。

I have been playing the piano for ten years.

日本語にすると、「私は10年間ピアノを弾きつづけている」となります。

この例文を引き合いに出して、中学の先生が「これは10年間、睡眠も食事も摂らずピアノを引き続けたという意味になってしまうから、まちがい」とおっしゃっていました。

だから私は、ずっと現在完了進行形は「物理的に休みなくやり続ける」という意味でのみ使うのだな、と思っていました。

ところが数年後、短期留学先のシドニーにて、まさに同じような例文が英語クラスのプリントに登場したのです。

思わず、「先生、これおかしくないですか」と質問しました。するとオーストラリア人のJock先生(今でも名前覚えてる)、「ずっとやり続けているというニュアンスを出すためなら、多少オーバーでも現在完了進行形を使ってもいい」と説明してくださいました。

その後も、物理的にずっとやり続けているわけでなくとも、現在完了進行形を使っている例を数多く見てきました。

 

②"the"の読み方問題

これは有名な話ですが、私が中学生だった頃は、冠詞"the"の読み方について

「子音の前にくるときはザ、母音の前ならジと読む」

と教えていました(今はどうなのかなあ)。

これ、ウソです。

ザのままでは読みづらいとき、強調したいとき、あるいは何の脈絡もなく気まぐれで、ネイティヴスピーカーは、たびたび"the"を「ジ」と発音します。母音と子音の区別なんて、へったくれもありません。今でも、なんであんな指導が全国的にまかりとおっていたのか、謎です。

そもそも英語では、ストレスの置かれる場所でなければ、母音の発音って結構いいかげんなのです。"the"の発音をよく聞いていても「ザ」とも「ジ」ともとれるような発音がほとんどなのではないかなあ、と思っています。

 

③「政治家」をpoliticianと訳してはいけない

確か高校でだったと思うのですが、先生が「politicianという言葉は、政治家ではなく「政治屋」、お金のためだけに政治をやっている人物だとばかにする響きがある。statesmanという語を使うべきだ」とおっしゃっていました。私はそれを聞いて「politicianという語は、あまり使ってはいけないんだな」と思っていました。

ところが、海外のニュースなどを見ていると、基本的に政治家のことはpoliticianと言っています。会話の中でもpoliticianの方を使うのが一般的なようで、statesmanという語はあまり聞いたことがないように思います。

今、googleニュース検索で調べてみたところ、ヒット数は以下のようになりました。

 

politician - 約5,750,000件

statesman - 約1,240,000件

 

やはり、politicianの方が多く使われているようです。ニュース記事で「人をばかにする」表現を頻繁に使うわけはありませんから、politicianという語はニュートラルな意味で「政治家」をあらわす語と考えて間違いなさそうです。

 

ただ、念のために英英辞典を引いて確認してみたところ、興味深い記述がありました。

 

politician [noun] - a person who is professionally involved in politics, especially as a holder of an elected office. Chiefly US a person who acts in a manipulative and devious way, tipically to gain advancement within an organization. (Oxford Dictionary of English)

 

拙訳ですが、がんばって日本語にしてみます。

 

politician [名詞] - 専門的に政治に関わっている人物。特に、選出された事務所をもつ人物をさす。主にアメリカでの用法:巧みに、ずる賢い手法を用いて、主として組織の中で昇進するためにふるまう人物。

 

なるほど。アメリカ英語では、先生がおっしゃったようなニュアンスもあるわけですね。私が教わった英語の先生は、こういう辞書などを使ってよく勉強していたのだということがわかりました。ただ、アメリカのニュースサイトでもやはりpoliticianという言葉が一般的に使われていることを考えても、この辞書に載っている俗語的な意味と、実際に使われているニュアンスとの間に乖離があるように思えます。やはり、普段から生の英語に触れているかどうかということが重要なのではないでしょうか。だって、「politicianは人をばかにする言葉」だと思ってニュースサイトを読んだら、面食らっちゃいますものね。

 

④butは文頭で使ってはいけない

これは少し微妙な問題なのですが、高校では「butは文頭にもってくると子どもっぽいから、必ずhoweverを使うように」と教わりました。

 

たとえば、

「昨日は雨の予報だった。だが、今日は晴れている」

というようなことを英語で言うとき、2文目で

"But it's sunny today."

というのは適切ではない、ということです。

 

これは部分的には正解なのですが、論文など堅い文章を書くうえでの話であって、会話やスピーチでは普通に文頭でbutを使います。むしろ、howeverを日常会話で何気なく使う人がいたら、ちょっとびっくりしちゃうと思うのですが、いかがでしょう(冗談めかして格式ばった言い方をしているように聞こえるかもしれません)。ただ、高校では読み書きの英語がメインになってしまっているので、このような指導になるのも無理はないのかもしれません。まずは日常会話で使える英語を教えてもらいたいものですが。

 

 

⑤あいさつの不自然さ

ほぼ八つ当たりですが、私は"How are you?"というあいさつを日常会話で聞いたことがありません。いや、間違いではないし、ドラマなどでは使う場面も見かけるのですが、実際に留学先でいちばんよく耳にしたのは"How are you doing?"です。短く縮めた"How ya doin'?"もよく使われていました。私の好きなアメリカのドラマ"friends"でも、プレイボーイのJoeyがナンパをするときの決め台詞として"How you doin'?"というのがありました。

この"How are you doing?"を省略した形が"How are you?"なのですが、日本の学校では元の形を教わらないため、私は初めて"How are you doing?"と聞かれたときに意味がわからなくて答えられませんでした。結果、「いちばん基本のあいさつもわからないヤツ」になってしまったわけです。けっこうがんばらないと入れない大学の、しかも文系の学生なのに。英語の成績は学校でも上位だったのに。この経験は屈辱的でした。

更に言うと、日本の中学校英語の定番"I'm fine, thank you. And you?"も聞いたことがありません。これも間違いではないのですが、友達同士なら"Good. You?"みたいにササっと答えるのが普通で、"I'm fine, thank you. And you?"なんて長ったらしい表現を使っていたのは日本人だけでした。

 

私の勉強不足だ、あいさつのバリエくらい行く前に確認しとけと言われれば、それまでです。でも、基本のあいさつにはこういう表現の幅があると、初級の段階で教えてくれたっていいじゃない。使える英語を教えてなんぼですよ。

今の英語教育がどんなものかはよく知りませんが、私が中学校にいた十ウン年前よりも進歩していることを願ってやみません。

 

⑥むだに小難しい構文

最後にもう一つ。

大学入試対策の英語の話なので、無理もないといえばないのですが、論文にしか出てこないような複雑怪奇な構文を覚えさせられたことも、今となっては本末転倒なんじゃないかと思います。

例えば、今もあるのかな? 受験英語の中でも有名な「クジラ構文」。

 

A is no more B than C is D.

Aは、CがDでないのと同じくらい、Bではない。

 

という、日本語でも何言ってるのかワケわかめな構文です。

 

A whale is no more a fish than a horse is a fish.

くじらは、馬が魚でないのと同じくらい、魚ではない。

 

という例文からとって、クジラ構文と呼ばれていました。

私個人は、知識を得ること自体に無駄はないと思っていますが、それにしても会話も満足にできない人がこんな複雑な構文ばかり覚えてどうするんだ、と思わずにいられません。こういう構文を100くらい懸命に覚えて、論文だって読めますよという状態で満を持して留学した私が、"How ya doin'?"を理解できなかったわけです。「さもありなん」とか「虎穴に入らずんば虎児を得ず」なんて表現を読み書きで使いこなせる外国人が「コンニチハ」と言えないのと同じことです。ああ恥ずかしい。

 

 

これまで書いてきたことをまとめます。

ひどい書き方をしてきましたが、どの先生も「根も葉もない、まったくのうそっぱち」を教えていたわけではありません。ただ、辞書に載っている用法の一つを普遍的なものであるかのように言ったり、書き言葉に限った用法を話し言葉にも適用してしまっていたりと、一元的な見方しかしていなかったために生じたミスであるのだと思われます。あるいは、学習者である私が単純に受け取りすぎたとか、拡大解釈をしてしまっただけというものもあるかもしれません。

また、繰り返し書いてきたことですが、30代の私が学校教育を受けていた時代の話ですので、まだまだ学校が「読み書き偏重」の教育に偏っていたのだということも原因の一つだと思います。特に高校では、会話ができるかどうかなんて問題ではなくて、英語の論文を読んだり、書いたりするスキルを測る大学入試にどう対応するかという規準で授業が作られていましたので、特に⑥のような指導になるのは無理からぬことなのかもしれません。それでもやはり、オーラルイングリッシュの授業だってありましたし、会話力を高めるための指導がもう少し充実していても良かったのではないかと思っています。

 

 

余談ですが、留学先でのこと。

英語学校にて、最初の面談で「こいつ全然英語できねえや」と判断され、7つあるクラスのうち下から2番目のクラスに入れられた私。その悔しさをばねに、わりと頑張って会話の練習をしたことと、会話は下手ながら文法と語彙の知識だけは豊富であることが認められ、1ヵ月で上から2番目のクラスに飛び級させてもらいました。そこは基本的にずっとディベートで意見をぶつけ合っているようなクラスで、「マミはどう思う?」と事あるごとに話題を振られて逃げようがなかったため、ものすごく会話力が鍛えられました。結果、10週間の滞在期間とは思えないくらい英語を上達させることができましたが、あのクラスに最初から入れてもらえれば…と思うと、まだ少し悔しいような気がします。

 

ともあれ、中学校・高校で身に着けた語彙や文法の知識が役立ったことに間違いはありません。だから、学校で学ぶのが無駄だなんて思っているわけではないのです。ただ、その優先順位を、バランスよく整えて教えるに越したことはないじゃないか、ということです。

 

さて、いつもながら長い長い記事になってしまいましたが、ここまでたどり着いてくださってありがとうございます。私が留学したのはもう10年近く前のことで、それからもずっと英語学習は続けていますが、まだまだ終わりはありません。これからも、楽しんで英語を学んでいきたいですし、学び方をこの場でシェアする機会もたくさん持ちたいと思っています。

ひとまず、今日はこのへんで終わりとしましょう。

おやすみなさい。

 

ひとを救うことば、追い詰めることば。—サッカー本田選手のTwitter炎上事件について

こんにちは。

娘と一緒に2時間お昼寝してしまって、ぜんぜん眠れません。

ま、こういう日があってもいいよね。

 

生後9ヵ月半になる娘おタマですが、「ずりばい」から「はいはい」への進化がなかなか完了せず、うつ伏せでプルプルとお尻を浮かせては力つきて「ぺちゃっ」となっています。

生まれたての子鹿みたいで、かわいいです。

お尻を浮かせた状態で前進するのが難しいみたいですね。がんばれ、おタマ!

 

さて、最近気になった話題を、おもむろに取り上げてみます。

サッカー日本代表本田圭佑選手のTwitterが炎上した件です。

 

私もfacebookにて友人のシェアで知り、コメント欄でアレコレと議論したのですが、改めて自分のためにまとめておきたいと思いましたので、ここに書き留めます。

(議論に付き合ってくださった方々、ありがとうございました。)

 

発端となった本田選手のツイートはこちら。

 

他人のせいにするな!政治のせいにするな!!生きてることに感謝し、両親に感謝しないといけない。今やってることが嫌ならやめればいいから。成功に囚われるな!成長に囚われろ!!

 

うーん、よさげなことを言っていますね。若者達を叱咤激励でしょうか。

これだけなら問題なかった(と私は思っている)のですが、このツイートの下にリンクが貼られていました。

若い世代の死因、自殺最多=15~39歳「深刻」―政府白書 (時事通信) - Yahoo!ニュース

日本の若者たちの間で、いま最も多い死因が「自殺」だそうです。

さもありなん。医学の進歩によって病気で亡くなる人が減り、事故も少なく安全な社会であることの裏返しだともとれますが、それでもやはりこの自殺率の高さは気になります。先進7カ国の中でも、日本がいちばん多いそうです。

 

この記事を見て、本田選手は上記のツイートをした…ということらしいのですが、

…???

 

くっつける記事間違ってないか?

 

まず、のっけからなぜ「人のせいにするな」「政治のせいにするな」なのだろうか。

自殺は「他人や世の中のせいにする」人が行うこと?

逆です。

自殺は「人のせいにすることができない人」がすることだと、私は思っています。

何か不遇なことが起こったり、嫌なことがあって気力を奪われたとき、「他人のせいにできる人」は、しぶとく生き残ります。

「あいつが悪いんだ、自分は悪くない、だから気にせず前に進もう」となるわけです。

ですが、ここで自分を責めてしまうタイプの人がいます。

すべて自分が悪い」。こうなってしまうと、思考がどんどんマイナス方向に向かっていきます。

それも、改善できる余地のあることならまだ良いのですが、自分を責め続け、思考がループし続けることで、自分に関係のないことまで自分のせいだと考えてしまうようになります。しまいには、「こんなに落ち込んでしまう自分が悪い」という思考になり、落ち込んでいること自体が更に落ち込む原因となっていきます。

 

こうした思考の行き着く先は、

「自分が存在することが悪い」。

つまり、「自分が死ねばいい」となってしまうのです。

 

こういった考え方は、まじめで勤勉な人が陥ってしまうことが多いです。

「人のせいにするな」「欠点は努力で改善しろ」と小さい頃から言われ続け、まじめに取り組み続けてきた人。

そういう人が、自分を追い込んで追い込んで「もう頑張れない」状態になってしまったときに、自殺という悲しいできごとが起こるのです。

そして、教育者としてこれを言うのは一層悲しいのですが、日本の学校教育のあり方がこの思考の流れに大きく寄与している…と、私は考えています。子どもの些細な間違いを責め、短所を責め、自己肯定感を下げてしまうような指導が、まだまだ日本の教育現場ではまかり通っています。

(ここ数年でかなり改善傾向になってきたとは思うのですが、それでも生徒を苦しめる教師をたくさん見てきました。)

 

精神的に参っている人に対してかけるべきは、「あなたは悪くない」という言葉です。

もっと、他人のせいにしてもいいんだよ。

誰にでも欠点はある。自分の欠点を受け入れていいんだよ、と。

 

それなのに、自殺の話題に結びつけて「人のせいにするな」なる言葉を投げつけることは、まさに傷口に塩をなすりつけ、傷と痛みを広げるが如き行為です。

 

生きてることに感謝、両親に感謝」なんて、言われなくてもわかっています。

だからこそ、まじめな人は「生きてることに感謝しないといけないのに、死にたいと思ってしまうなんて、なんて自分はダメな人間なんだ。なんて親不孝なんだ」と、更に自分を責めるループにはまってしまうのです。

この「思考を責める」という状態になってしまうと、本当に辛いです。考えてしまうこと、感じることは、自分では止められませんから。そこを責められても、どうしようもない。

だからやっぱり、行き着く先は「こんなことを考えてしまう自分は死ぬしかない」という発想です。

どん詰まりです。

どう転んでも、ここに行き着いてしまいます。

 

繰り返しになりますが、精神的に追い詰められている人に対してかけるべき言葉は、叱咤激励ではありません。

まず、自分自身を認めること。上手にできなくてもいいと、肩の力を抜くこと。少しは他人のせいにすること。そして、自分を追い詰めているものたちから少し離れて(逃げる、というのも良し)休むこと、です。

本田氏のツイートの中にも、「今やってることが嫌ならやめればいい」とあります。この言葉には賛成です。仕事でも学校でも、自分に過剰な負荷をかけるものから離れればいいのです。

ただ、まじめな人は、まじめだからこそ「辞めてはいけない」「逃げてはいけない」と考えてしまうので、その人を仕事や学校から無理にでも引きはがし、休ませるのは周囲の人間の役目です(自分で「やばい」と思って休むことができるなら、それに越したことはないですが)。「今やっていることをやめる」という発想は、鬱状態の人にとっては「生きることそのものをやめる」ということに直結してしまいかねず、危険です。

よく、過労自殺の事件などによせて「死ぬくらいなら、なんで辞めなかったんだ」という声を聞きますが、「辞める」という選択肢が見えないくらい視野の狭まった状態になっているから自殺するのです。

こうなった人間の視野を広げるのは、その人の思いに寄り添った共感と受容の言葉です。

なのに、心の折れてしまった人に更に厳しい言葉を投げかけ、死者に鞭打つようなことが、日常的に行われています。

 

私がこの件で一番危険だと思ったのは、本田氏のツイート自体もそうですが、このツイートへの反論をまとめたサイトでのコメント欄でした。

「本田選手はすごい努力家だ。頑張って今の地位を築いてきた人の揚げ足を取るな」

「未来ある若者への激励の言葉だ、どこが悪い」

などなど。(だいぶ、はしょって表現を変えていますが)

 

やはりサッカー日本代表選手の言葉は影響力が大きいです。

なんだか、傷ついて追い詰められている人に対して厳しい言葉をかけ、更に追い詰めるようなことが正当化されているように思えてなりません。

 

他人に対して厳しい言葉をかけるときって、とても気持ちがいいものです。それで相手が追い詰められて潰れてしまっても「あいつが弱かったんだ」で済ませることができます。自分はその結果に対して何の責任も負わず、「正しいことを言ってやった」正義の味方である自分に思いきり酔うことができます。言葉をかけるのはタダですしね。

 

その反面、辛い思いをしている人に寄り添う言葉を選ぶのはとても難しいです。相手の心に響かなくても、伝わらなくても、あきらめずに声をかけ続けること。受け入れ続けること。私も教師のはしくれですので、生徒の相談に乗るときなどに気をつけていることですが、なかなか実を結びませんし、徒労感でいっぱいになることも多いです。今でも「あの言葉はあの子に届いたのだろうか…」と思い出して落ち込むこともあります。

うまくいったと感じたことなど、ほとんどありません。

 

それでも、追い詰められた人の心の痛みを、少しでも和らげることのできる人間でありたいと思っています。

 

 

最後に、吉野弘の詩「祝婚歌」から、一部を引用しておきます。

 

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい

 

私が結婚するとき、大学時代の恩師が贈ってくださった詩です。

これから暮らしを共にする夫婦への助言、という詩ですが、すべての人間関係に当てはまると思っています。

「立派でありたい」「正しくありたい」を他人に対して、そして自分自身に対して押しつけてしまい、そのプレッシャーが限度を超えたときに、悲劇は起こります。

自分にできることを、自分にできる範囲でやって、それで生きていけるのが、しあわせ。

そう思ってみんなが生きていければ、いちばんいいなあ。

と、思うのです。

 

感情にまかせて書きなぐりましたので、同じことの繰り返しばかりで、だらだらと長い文章になってしまいました。

ひとまず、もっと若者が希望を持って生きていける日本になるように、願いをこめて投稿します。

 

追記。

この問題については、色々な人がコメントをしたりまとめが作成されたりしています。

私もこの記事を書くにあたり、「自己責任論」という観点でまとめた下記のブログを参考にいたしました。論点がすっきりしていて、たいへん読みやすい記事です。以下にリンクを貼っておきます。シェアしてくれた友人に感謝。

 

hirokimochizuki.hatenablog.com

 

 

カセットテープをクルクルしました。〜ロシア語能力検定3級受検記録 その③〜

さて、昨日の記事の続きです。

どこに需要があるのかわかりませんが、主に自分のためにやっています。

ロシア語能力検定試験3級の試験内容を振り返っていきますよー。

後半は和文露訳、聴取、朗読についてです。

 

和文露訳

ロシア語能力検定試験、最大のヤマ場。

日本語で書かれた文章をロシア語に訳していきます。

難易度はそれほどでもなく、前回の過去問のほうが複雑だったようにも思えますが、

できているかどうかは別…(泣)。

頑張って最後まで書ききりましたが、さあ、どうかしら。

 

この和文露訳、もちろん習得語彙や格変化についての豊富な知識が必要なのですが、

それらと共に鍵を握るのは「時間配分」だと思っています。

ロシア語能力検定試験は、①文法・②露文和訳・③和文露訳の3つで120分。

その後、5分の休憩を挟んで④聴取が行われ、最後に⑤朗読、となります。

 

というわけで、まずは①〜③のどこに時間を割くかということが重要になってくるわけなのです。

 

問題の分量的には、120分あれば焦ることはあまりないと思いますが、

文法であれこれ考えすぎて時間を遣ってしまうと、あとでたいへん焦ることになります。

何しろ前回も書きましたが、文法はいちばん準備しやすく、得点しやすい分野なので。

わからない問題は飛ばしてわかるところだけ書いておいて、あとで時間がなくなったとしても、

最終的に6割できていればいいので、ここは合格に結びつきやすいのではないかと思います。

(最初にさらっと解いた段階で半分近くわからないとしたら、

 まだ3級を受けるには早かったというだけのことでしょうし…)

露文和訳も、それこそ出て来る表現を「知ってるか知らないか」だけの世界であるため、

ケアレスミスが発生する可能性も低く、得点しやすい分野といえるでしょう。

 

というわけで、今回も時計とにらめっこしつつ、文法はざっと30分で解答終了。

次の30分を和訳に使います。2題あるので、1題15分でガーっと解答。

わからない語は訳出せずに印をつけておいて、後で…という方法を毎回とっていますが、

今回はわからない語がほぼ無かったのがラッキーでした。

あとは残った1時間を、まるまる露訳に充てます。

 

さて、出題内容ですが、こちらも例年通り2題ありました。

最初はイワンとナターシャという若い夫婦の暮らしについて説明する文章。

のっけから「イワンとナターシャは夫婦だ。」で、「夫婦って…?」と躓いてしまいましたが(汗)、

調べたところ「супруги」。見たことない単語だ…。3級でさらっと書けるものなんだろうか?

わからなかったので、苦し紛れに「муж и жена(夫と妻)」と書きましたが、どうかしら。

後は、二人が暮らす家や職業、通勤形態(バスで2時間かけて通っている)についての

説明文が続きました。

「ナターシャが大学を卒業し(終え)」、「仕事を始める」というフレーズを訳すとき、

кончить-кончать(終える)

начать-начинать(始める)

の二組(どちらも完了体—不完了体)の体と活用がごっちゃになってしまいました。

特に「始める」の二組の活用がややこしいので、ここで唐突におさらいしておきます。

 

начать…начну-начнёшь-начнёт-начнём-начнёте-начнут

начинать…начаю-начаешь-начает-начаем-начаете-начают

 

完了体начатьの三人称単数形のつもりでначаетと書いたけれど、これは不完了体начинатьの活用。

начатьの三人称単数形はначинёт。

どう考えても、逆の方がすんなり納得できるのにー。

と、恨み言を言っても仕方あるまい。

 

この記事に目を通してくださっている奇特なアナタがもし、

ロシア語に少しでも通じているのならば、納得していただけることと思うのですが…

ロシア語学習は不規則形に次ぐ不規則形、不自然な変化に次ぐ変化に順々に殴られていく作業。

つまり理不尽との闘いなのです。(なんという暴論)

だからこそ、不規則形が口をついて出るほどまでに身についたとき、

なんともいえぬ達成感に身を焦がすことになるのです。

 

ロシア語をやったあとで英語学習に戻ると、

 

動詞の変化形が3種類しかない…!

名詞が文のどこに置かれても格変化しない…!!

男性形女性形中性形複数形で、形容詞の形を変えなくてもいい…!!!

 

「なんて…なんて素直な言語なんだ!!!」

 

と感動の波に打ちひしがれること請け合いです。

少なくとも、私はいつもそうです。

 

ちなみに、私が好きなロシア語文法用語は

「被動形動詞過去短語尾男性単数形」

です。

 

はい、また脱線しました。

露訳の話に戻りましょう。

イワンとナターシャの暮らしについて。「イワンは大学を3年前に卒業した」

「まだ大学生のナターシャが1年後に卒業して就職すれば、二人は引っ越す予定だ」

など、過去と現在、未来の時制の書き分けが鍵だったのではないかと思います。

完了体と不完了体の使い分けが、まだうまくできていないということを痛感しました。

 

二題目は、「私の住む小さなまち」という主題。

映画館がなかった私のまちに、今年ついに映画館ができた。

1階にはロビー、2階にはカフェ、3階にはホールがあって、云々…

という内容だったと記憶しております。

1階、2階という階数は、на первом/втором/тритьем этаже

と書きます。

序数詞の前置格は少し自信がなかったですが、あとで調べたら合っていました。

あとは、最後の1文「私たちは、この映画館を誇りに思っています」。

「誇りに思う」がわからず、調べたところ「гордиться」だそうですが、

これも3級にしては難解であるように思えます。意訳のしようもないし…。

 

と、ここまでをまとめると、単純に知らなくて書けなかった表現は2つだけなのですが、

恐らく格変化の間違いやスペルミス、前置詞などの細かい間違いは無数にあったように思います。

あとは、どういう基準で採点しているかによりますね…。うーん、合格しててほしいっ。

 

④聴取

ストーリーのある平易な文章が、ゆっくりしたテンポで3回繰り返して読まれます。

難しくはありませんが、この試験で特徴的なのは、事前に問題を読んでおくことができないこと。

解答用紙を配られて、名前を書いたらすぐに音声が流れます。

質問項目もすべてロシア語で書いてあるので、

「問題を一生懸命読みながら、音声も集中して聴く」

というマルチタスクが要求されます。

 

平易な文章とはいえ、最初は問題を読みながらということもあって全貌が掴みにくく、

2回目、3回目で少しずつストーリーが頭に入ってくる、というかんじでした。

忙しくて頭が真っ白になっちゃいそうですが、とにかく落ち着くこと。

そして、問題文に出てくる単語も大いにヒントになるので、

キーワードらしい言葉に注目しながら耳を傾けること、が大切かと思います。

(というか、質問は単純なものばかりなので、質問と同じフレーズが読まれて

 そのまま次の言葉が書かれた選択肢を選べば正解…ということも少なくありません。)

 

内容は寓話のようなストーリーで、ある青年が幸せを探しに家族を残して旅に出るけれど、

本当の幸せは「ふるさとの平穏な暮らし」にあったのだと気づいて、

家族のもとに帰っていく…というような、ありがちな話でした。(こらっ)

質問にも変なひっかけはないようでしたので、まずまず得点できたのではないかと思います。

 

⑤朗読

ロシア語能力検定試験のユニークなところ。朗読のテスト。

配られたテクストを、筆記試験と同じ会場で、全員一斉にカセットテープに吹き込みます。

もういちど言います。

 

全員一斉に、

カセットテープに吹き込みます。

 

4級のときも思ったのですが、ツッコミどころが多くて笑っちゃいそうになります。

まず、筆記試験が行われる前から、各座席に用意されている小型カセットデッキ

これ実家にあったわー。

まずはこれの使い方が、試験監督の方によって説明されるのです。

 

「えー…最近の若い人は、カセットの使い方がわからなかったりしますから説明しますね」

(ここで毎回、小笑いが起こります。ちなみに受検者は中高年の方が圧倒的に多いです)

「まず、カセットはテープが透明なところには録音されませんから、カセットを取り出して、

 鉛筆をカセットの穴に刺して、黒いテープが出てくるまで巻いてください。

 

カセットテープを鉛筆でクルクルするなんて、30代前半の私からしても

小学校時代以来のことです。

それなのに、会場にいる10人弱(少ない…)の受検者が一斉に、真剣な顔をして

クルクル鉛筆を回しているさまは、シュール以外の何物でもありません。

隣のマダムが「逆にまわしてたるんじゃった…どうしよう…」とか言っています。

反対向きにまわせばいいんじゃないでしょうか。

試験監督さまの助けを借りて、全員の黒いテープが無事に所定の位置におさまりました。

 

続いて、試験の流れです。

「最初に5分間、黙読の時間を取ります。その後に合図をしますので、各自録音してください」

本当にこの座席のままで録音するんだな…(4級で知ってたけど…)。

「まず、録音ボタンを押したら、6ケタの受験番号と名前を言ってください」

「あの…」と、ここで受検者の一人が手を挙げます。まじめそうな方です。

「受験番号というのは、じゅうにまんさんぜん…と読んだらいいのでしょうか」

「いえ、いちにいさん…と1ケタずつ読んでください」

そらそうや。

でも、なんだか和みました。ありがとう、おじさん。

 

「録音の時間は3分です。読み終わったら、2回目、3回目と繰り返してもらってもかまいません」

このルールも独特ですよね。最初に戻って繰り返し読んでもいいということは、

2回以上読んだ箇所については、うまく読めているほうを採点する…ということなのでしょうか。

それとも、2回目に読んだほうが間違っていたら減点されるのか?

今回、私も少しだけ2回目に突入しましたが、ひょっとしたら読まない方が得なのかも…

とか考えると、モヤモヤしちゃいます。

 

いよいよ試験開始。問題用紙に目を通します。

5分しかないですが、長い文章ではないので、落ち着いてメモをとっていきます。

3級からはアクセント記号がないので、各単語のアクセントを記入していくのがメイン作業。

あとは疑問詞などストレスをおくところに印をつけたりして、読み方をイメージします。

面食らったのは、数字がたくさん出てきたこと。2ケタも3ケタもありました。

3ケタのものは、例えば「225」と書かれているものを

「どびえすち どばーっつぁち ぴゃーち」と読まなければならないので、メモが不可欠。

というか、メモがあっても実際読むときは戸惑いました。

過去問にも数字が出てきた例があまりなかったので。

そのせいでちょっとリズムが乱れたかもしれません。

 

あとは、朗読では各単語のアクセントにどうしても注意がいってしまい、

文全体をみてどこにストレスを置くか、どのようなリズムで読んでいくかというところが

おろそかになってしまいがちです。

今回、私もやはり準備不足がたたって、アクセントを意識するので精一杯になってしまいました。

アクセント自体は、わからないものも少なかったし、正確に読めたのではないかと思うのですが…。

周りがざわざわしているのもあって、今ひとつ文章全体のリズムがつかめなかったように思います。

(まあ「全員一斉に」となっているのは、会場の都合で仕方ないことなんでしょうけれども。)

あとは採点者さまの温情に期待するばかりでございます。

 

以上、長い長い振り返りでしたが、ロシア語能力検定試験のあらましをまとめました。

結果は1ヵ月以上後になりますが、合格であれ不合格であれ、必ずここで報告いたします。

結果が出るまでは、次の試験対策をすることもできませんから、

娘とチェブラーシカのDVDでも観ながら、ゆったりと待とうと思います。

 

そして、次は6月。

スペイン語検定の5級を受けます。

こちらも、今やっている学習法や試験対策など、随時書き留めていきますね。

 

長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

では、また。

 

※結果報告&分析はこちら↓

ロシア語能力検定試験3級、合格しました。

育児しながら資格試験。〜ロシア語能力検定3級受検記録 その②〜

受けてきました! ロシア語能力検定!!

結果はどうあれ、出産後から半年以上かけてこまごまと準備をしてきたので、

一区切りついてなんだかスッキリしています。

 

というわけで、今日は9ヵ月の娘・おタマを連れて、ちょこっと遠方への資格試験受検記。

ロシア語能力検定の内容についても、忘れないうちにメモしておきます。

 

試験会場ですが、私のいる街では開催されていないため(田舎なのです…)、

電車に乗って金沢の会場へ行ってまいりました。

娘はナコ太さん(夫)に預けてくることも考えたのですが、離乳食が順調に進んでいるとはいえ、

まだまだ授乳が必要なため、ナコ太氏とともについて来てもらいました。

産後4ヵ月頃までは時々搾乳したり、粉ミルクを作ったりして哺乳瓶で飲ませていたのですが、

しばらく完全母乳で過ごしていたところ、いつしか哺乳瓶を頑なに拒否するようになってしまいまして…。

それに気づいたのが7ヵ月頃だったかしら。

哺乳瓶を忘れないように、時々使ってあげれば良かったのかも…と思っても後の祭り。

完全に卒乳するまでは、おいそれと人に預けられなくなってしまった…。とほほ。

でも、娘に必要としてもらえるのも悪くないものです。えへへ。

 

すぐ話が横道に逸れるなあ。

そんなわけで、おタマにとっては初めての電車に揺られて行ってきました。

ぐずるかなあ?と思ったけれど、外の景色に見とれてみたり、持ってきた絵本で遊んだりと、

なかなかゆったりと過ごすことができました。

(このとき重宝したのが、丈夫な厚紙製の絵本!かじっても舐めても大丈夫なやつです。

ページをペラペラめくりながら絵を触ったりして、機嫌よく遊んでくれました。)

13時の試験開始に合わせて、11時に金沢に着き、お店が混む前に駅前で早めの昼食。

おタマは持ち込みの離乳食です。がっつり3パック(240g)食べた後で母乳も飲みます。

(お腹いっぱいだし、おっぱいいらないんじゃ…と思うかもしれませんが、

それで授乳なしにしたところ、ぐずって手がつけられなくなった過去があるのです…。)

12時に授乳を済ませ、ベビーカーで試験会場までゆっくりお散歩。

お腹もいっぱいになったおタマは、こちらの狙い通りウトウトし始め、

会場に着いた頃にはぐっすりお昼寝に入ってくれました。

ここでナコ太氏に育児の全権を委任(笑)し、私は試験開始です。

 

やっぱり、自分の身一つであちこち遊びに行っていた頃と比べて、

何をやるにも時間の余裕が必要です(当たり前ですが)。

でも、その分ギリギリになって焦ることも減ったので、

逆に気持ちにも余裕をもって行動できたかもしれません。

以前の私なら、事前に当日の流れを何度もシミュレーションしたり、

2時間前に会場近くまで来るなんて、考えられませんでしたから…。

 

試験会場は兼六園のそばの文教会館でしたが、私が試験を受けている間(2時間半!)も、

ナコ太さんがこども図書館に連れていったり、金沢城公園をぶらぶら散歩したりしてくれて、

のんびり2人きりのデートを楽しんでおったようです。お天気も良かったようで何より。

 

で、肝心の試験内容ですね。

残念ながら問題用紙は回収されてしまうので、記憶だけを頼りに振り返ってみます。

 

※結果が送られてくるときに問題と講評も同封されるので、そのときまた答え合わせになりますね。

 

ロシア語能力検定(以下露検)3級は、300点満点の絶対評価

文法(100点)・露文和訳・和文露訳・朗読・聴取(各50点)の5種類の試験があり、

そのすべてで6割以上の点数を取れれば合格となります。

この「すべての分野で6割」というのが、露検のトリッキーなところです。

いくら文法に強くても、いくらリスニングが得意でも、他の分野を落とせば問答無用で不合格。

そして、多くの受検者にとって関門となるのが、露訳朗読です。

私にとってもご多分に漏れず、この2分野が鬼門となりました。

なんとなく知っている表現でも、ノーヒントで書くとなると…??

あれ、スペルは?

格変化は??

前置詞はв/на、из/с、どっちだっけ…???

と、書きながらどんどん自信がなくなっていきます。

朗読についても、独学で学んでいると、ロシア語を口に出すことってなかなかないもので…。

今回の受検でも、この2分野でどれだけ得点できているかが、合否の分かれ目になりそうです。

 

各分野別に、2回分取り寄せた過去問と比較しながら振り返っていきます。

 

①文法

おおむね例年通りの流れなので、得点できているはず。

格変化/人称変化、動詞命令法、関係代名詞の格変化、数詞、単一比較級、移動の動詞、

の6分野でした。

・格変化…これはもう扱う動詞や人称代名詞の範囲がとっても広いので、

     常に人称変化を意識しながら学習していくしかないでしょう。

     例年に比べてやや複数形の格変化が多く、ちょっと戸惑いました。

・命令法…例年通り、全部複数形(丁寧形)の格変化。

     рассказать、помочь、приготовить、передать、бытьの5問(全部覚えてた!)。

     命令形だけでなく、それに付随する人称代名詞与格(誰々に、の形)の

     格変化も要求されます。

・関係代名詞…例年通り。которыйの格変化だけなので対策しやすいです。

・数詞 …おおむね例年通り? 数字+名詞をスペリングする問題が10問。

     「10本のペン」とか「40人の生徒」など数字がくっつくことで、

     なぜか名詞が多様に格変化しちゃうのがロシア語の憎いところなのです。(笑)

     複数生格が要求されることが多いですが、例外が多いので苦手…。

     対策問題集にも過去問にも出てきたрубль→рублей(複数生格)が今回も出現。

     один(一つの)なのに複数形одниになっちゃう形も、ほぼ毎回必ず狙われます。

    (одниは常に複数形で表記される名詞に接続。

     今回はодни очки(一組の眼鏡)でした。)

     годの複数生格、лет(全然違うやんけ!)も毎回出ていますね。

     そのほか、ручкаの複数生格→ゼロ語尾のручек。出没母音に騙された!

・比較級…быстро、хородно、хорошо、молодый、высокийの5問。

     (これも全部覚えてた。我ながらすごい。笑)

     不規則変化もありますが、全て対策問題集に載っていたので安心でした。

     хорошо→лучшеの特殊変化は特によく狙われるかな。

・移動の動詞…例年通り。定方向動詞、不定方向動詞の用法の違いを

      しっかり理解していれば問題なかったです。

      出てくる動詞も、最初のパートはидти/ходить、ехать/ездить、

      бежать/бегать、летить/летать、плыть/праватьの5種類、

      次のパートはнести/носить、вести/водить、везти/водитьの3種類のみなので

      対策しやすいです。

      不定形を人称変化させないといけないので不規則変化に注意ですが。

      後半パートは「運ぶ」がテーマ。нести/носитьは「(物を)身に着けて運ぶ」、

      вести/водитьは「(人を)連れて行く」、везти/возитьは「乗り物で運ぶ」。

      過去問を受けていて、「赤ちゃん(ребёнок)を抱いて歩き回る」に

      нестиを遣うことに衝撃を受けましたが、赤ちゃんは荷物扱い??

      (赤子をくっつけてあちこち歩き回っている身としては、

       わからんでもない理屈ですが…笑)

      で、この「赤ちゃん」が今回も出たので、よく狙われるパターンのようです。

 

ざっと振り返りましたが、文法は過去問でも8割前後は安定して取れていたので、

今回も問題なかったのではないかと思います(ほぼ例年通りの出題でした)。

4級では出なかった、格変化の複数形が少し準備不足でしたが(特に生格)…。

ロシア語は動詞だけでなく、形容詞も名詞も(固有名詞ですらも!)コロコロと格変化するうえに、

例外も多くて本当に苦労しますが、頻出範囲を絞って対策するのが吉かと思います。

何より「全分野で6割以上」の壁があまりに厚いので、文法がそこそこできたら

完璧を目指さずに他の分野の勉強を満遍なくするのが良いかと…。

私は今回、文法に力を入れすぎて他の分野がおろそかになってしまったので。

 

②露文和訳

例年通り、短いパッセージが2つ。過去2回と比べてやや易しかったように思います。

1つめはラグビーのお話。ラグビーの起源や、ボールはなぜあんな形をしているのか?など。

不思議なのは、語注。мяч(ボール)、держать(つかむ)に注がつきましたが、

いや知っとるがな! と声を出しそうになりました(笑)。

どちらも3級を受けるなら学習しておくべき単語のはず…。一生懸命覚えたのに〜。

そのわりに難解語はノーヒントでして、今回はнеправильный(正しくない、イレギュラーな)

という語が放置されておりました(手許の単語集には載っていない語です)。

まあ、前後の文脈で判断できるかどうかを試す、ということでしょうか。

実際私もこの語を知りませんでしたが、前後の流れから無難に訳せたように思います。

2つめのパッセージは、あるエンジニアの人がマンションを買って引っ越す話で、

新しい部屋にはキッチンやトイレがついていて、窓は南を向いていて…と説明していくもの。

こういった「私のまち」や「私の暮らし」のようなものを説明する文章が、

例年出される傾向にあるようです。

 

さて、まだ2つしか振り返っていませんが、ずいぶん長くなっちゃったので続きは次回。

これまでどんな対策をしてきたのかも、そのうち書きますね。

では、おやすみなさい。

 

【続きはこちら↓】

カセットテープをクルクルしました。〜ロシア語能力検定3級受検記録 その③〜 - かあさんは雨女